皆様も薄々感じられていると思いますが、お金は幸せになる為の絶対条件ではありません。
前回のブログに書きましたように、生きて行く為には、お金は必要ですが、あればあるほど幸福になれるという訳ではありません。
それは、ひとつには、お金の集まる所には、この世の悪も集まって来るからです。遺産相続で、親、兄弟など血族間で、揉め事になることが多いのもそうです。また、お金があることで、犯罪に巻き込まれることもニュースを賑わしています。多額の資産を保有していても、幸せになれない人は数多く存在しているのです。お金を増やして行っても満足を得られないで、他人より裕福になることだけしか自分の存在価値としかならない不幸な人が存在するのです。一方、それほどの富を持たなくとも、幸せな人生をおくる人がいるのも事実なのです。
しかし、不幸なことに、ほとんどの人がこのような真実を理解出来ずに成長していくこともまた事実なのです。小さな頃から、多くの親達は自分の子供に、お金持ちになるように、勉強していい学校に進み、いい会社や高額収入の得られる職業に就きなさいと進路を指し示すことが多いのです。学校の成績が良いと、それだけで幸せになれるような錯覚を蔓延させているのです。それを信じて、青春時代を受験勉強に費やし、その結果、社会に出て、望みの職業に就けた後に、幸せになれない自分に気が付いて悩む人もいます。逆に、受験戦争で敗れて、やけになって荒んだ人生を歩む人もいます。どちらにしても幸福になる方法を知らなかったことによる不幸なのです。
自分の親や回りの大人が、その子の個性を尊重し、他人と同じ物差しではなく、その子自身の物差しをみつけ、それに従い自分固有の生き方を進めて行くことを認め、支えていけば、例え、大金持ちにならなくとも、幸せな人生をおくる人が増えていくのです。
この論理を前提にして、多くの人が幸せな人生をおくる為に社会に必要なことは、
ひとつは、どんな職業であれ、社会機能を担っているものであれば、真面目にそれに従事していけば、安心してある程度の生活がおくれる社会環境を実現するような司法、立法、行政のシステムを構築することです。
もうひとつは、教育は、単なる知識の詰め込みでは無く、自分の人生を幸せにおくる為の基本的知識を教え、個々がそれぞれ適正のある職業に就くことが出来るような真の進路指導をベースとして、何を学んでいくかを指し示していくようなシステムとすることです。
多くの人達が幸せへの道筋を理解出来るようになれば、この世に蔓延るお金にまつわる悲劇も限りなく減少するでしょう。