世界一の高さを誇るエベレスト山、現地名チョモランマには、人類の登頂制覇挑戦の歴史があります。NHKの番組で、そのドキャメントが放送されました。
どうしてエベレスト登頂に挑戦するのかと言った問いに対して、イギリスの登山家マロリー氏が「そこにエベレストがあるから」と答えたと言うのは大変有名ですね。彼は、1924年の第三次イギリス遠征隊に参加し、エベレストの頂上にアタック、頂上付近を登っているところまで確認されていますが、その後消息を絶ち、遭難死したと言われています。彼が、頂上を極めたかは確認出来ていません。その75年後、彼の遺体が彼が消息を絶った場所から数百メートル下で発見されました。しかし、残念なことに、彼のカメラは発見出来ず、彼が登頂に成功したかは不明のままなのです。
1953年、イギリスのヒラリー氏がエベレスト初登頂に成功したことは有名です。そして、その後、酸素ボンベ無しでの登頂、色々なルートでの登頂と、先達を凌駕しようとする数々の登山家、冒険家がエベレストに挑んで来たのです。
酸素濃度が平地の三分の一、零下30度以下の極寒、繰り返す絶壁、激しく変わる厳しい天候といった至難を極めた行為に、何故彼らは命をかけて挑戦して来たのでしょうか。マロリー氏のそこにエベレストがあるから挑むんだと言う言葉には、単なる名誉や富を求めるだけでは無い、何か人間の生きる意味合いが感じられます。
人間は何の為に生きるのでしょうか。何千年前から問い続けられたこの問いに答えを出すのは難しいですが、エベレストに挑戦した登山家達は、極限までに近づいた生と死の境界線に己の身を置き、死を間近に感じられる瞬間こそ、生の意味を感じたのではないでしょうか。
このような挑戦は、この世に生を授かった意味を突き詰めて考えるには、非常に意味深いことであると思います。また、自分の命をかけてそこまで打ち込めるのも大きな幸福感を得られることのような気がします。
私にはそこまでの勇気はありませんが、自分の人生をかけて挑戦するものがあることほど幸せなことは無いと理解しています。生きる意味を見失いかけた人も多くおられると思いますが、富や名声や権力では無く、自分の内なる声を静かに聞いてみてください。他人の行動や言動、世間の基準などに惑わされること無く、自分自身だけの幸せの物差しを探してみましょう。但し、自分のことを尊重してもらう為には、他人の幸せ探しも尊重しましょう。世界の調和と平和という環境がなければ、個人の幸せ探しなどすぐに強権に吹っ飛ばされてしまうからです。