イスラエル国民の8割は、ハマスを攻撃するに際して、ガザ市民の苦しみを考慮する必要はないと考えていると言う記事がありました。私はそのことを知って、思い出したことがあります。インド独立の父として称えられた故ガンジー氏です。彼は、当時イギリスの植民地であったインドの酷く理不尽な状況に対して、決して暴力で対抗せず、非暴力・不服従で、イギリスへの抗議の運動を率いて、最終的に独立を勝ち取ったのでした。彼のこの非暴力主義について、「なにものをも暴力で勝ち取っても、それはいずれ暴力により失うものだ、だから非暴力・不服従を貫くのだ」と言ったようなことを考えられていたのでした。

 私は、人類が平和を勝ち取る為には、このガンジーの精神がもっとも正しいものだと理解しています。戦争や軍事的行動での革命で、平和を勝ち取ったとしても、それはあくまで短期的に終結してしまう可能性が高い平和でしかないと思います。暴力というものは、恐ろしい力で敵対する勢力を倒すことが出来ることがありますが、その結果、暴力で征服された人達に、非常に大きな恨みの心を植え付けるものです。それが、年月を経ても、子孫に受け継がれて行き、いずれ復讐の暴力が爆発するときが来るのです。歴史には、このような血で血を洗う闘争を続けたケースが数多あります。イスラエルとパレスチナもその例にもれず、未だに殺し合いを続けることになっているのです。

 このような血の歴史から人類は学ばないといけないのは、暴力では本質的な解決にならないと言うことなのです。この真実は明確だと思いますが、残念ながら、人類の多くはあまりにも弱く、その弱さゆえ、非暴力・不服従という凄まじい勇気が必要な行為に耐えられず、避けて、刹那的に目先の敵を殺すことを選択してしまうのです。これは、この瞬間、自分だけでも直面した危機を避けたいという易きを選ぶ、自己中心的な人間が多いことの現れなのです。

 もしかしたら、私自身もそのような切羽詰まった状況になれば、例えば、太平洋戦争の時代に生まれ、戦地に派遣されたとしたら、人を殺していたかもしれません。しかし、この平和の中で、冷静に考えますと、多くの人間が幸せになれる平和な状況を作る為には、ガンジー氏の志を継ぐことが最善であると理解出来るのです。逆にいつ殺されるかわからないような状況におかれたとき、ほとんどの人間は間違った判断をしてしまうのです。だからこそ、この日本のような平和な状況に置かれている今こそ、非暴力・不服従の絶対的な正しさを頭の中に叩き込み、もし有事が起こったならば、その精神を貫かなければならないと思います。