年末に、買い物に出掛けますと、街頭もお店も人、人、人でごった返しています。正月用品では無く、普段の必要な買い物を済ます為にも、長蛇の列に並ばないといけません。通常はそれほどまで混雑していないのにと嘆き、自宅に戻って来たときには、特別な疲れがどっと湧いて来るようでした。
私は極端な人嫌いではありませんが、混雑、群衆の中に身を置いていますと、一種の恐怖を感じてしまいます。それは、人間にはいろいろな人がいて、善良な人もいますが、反対に他人に危害を加えても、迷惑を与えても平気な人がいるのも事実です。雑踏では、近くにいる多くの人はほぼ見ず知らずの人ですので、目の前にいる人がどのような人か分からないのは当然です。そのような何をしでかすか分からない人に取り囲まれている恐怖、そして個人の力ではどうしようもない群衆での人間の行動への恐怖、そこまで悪質なことが起きる確率は小さいとは思いますが、ルールやマナーを守らない人は少なくありません。そのような状況に出会うとほとほと心が疲れてしまうのです。
人はある程度知り合うことが出来れば、どのような性格で、どのような行動を起こすか、だいだい判ることが出来ます。その考察に従い、どのように付き合って行けば、又は、付き合うことを止めるという判断をすることが出来ます。しかし、見ず知らずの人達の中では、このような処世術は大した力を持ちません。唯一の対処法は、群衆には近づかない、飛び込まないと言うことだと考えています。だから、私はお祭りや大規模イベントを極力避けていると思います。もちろん、そのようなイベントが飯より好きな人達を否定しているのではありません。彼らは人間のことが好きなのだと思います。祭りや大規模イベントなどでの集団行動から湧き上がる一体感や高揚感は、生きていること、命を実感出来るのかもしれません。それは理解出来ますが、一方、人間の恐ろしさも知っているので、私の場合、そちらの方がかっているのかもしれません。
このブログで述べています、人間論は、自分自身の経験と多くの先駆者が残した書物や歴史に関する記録や読み物から、築き上げられて来ました。それらを知れば知るほど、人間の賢さや強さ、功績と並び、愚かさ、弱さ、悲劇を知る事になったと思います。それを理解出来て分かったことは、人生の処世術でもあり、反対にどうしようもない無力さでもありました。
私はこれまで苦しいこと辛いこと悲しいこともいろいろ経験しては来ましたが、一方、運良く平和なときの日本に生まれ、周りのひとにも恵まれ、充実した、幸福な人生を送れて来たと思っています。
一部の人間の際限無い欲望と多くの人の無知な行動が数多くの人達を悲劇に追いやって来たと言う現実に、大きな無力感を感じずにはいられませんが、ただやはりこの世に生を授かった人達すべてが幸せを求める権利があり、それを可能にする社会の仕組みやルールは存在するという確信から、これからもブログに書き記していきたいと思います。その願いを。