自民党のパーティ券収入に関する裏金作りの問題で、安倍派幹部は不起訴になるようです。彼らは自分は知らぬ、会計責任者がやったことだと主張し、検察がこれ以上の追求を断念したようです。

 我々一般の人間から見ますと、このような上司が知らなかったと言えば、罪を問えないようなルールは、政治の世界にしか存在しない異常なものと思います。例えば、一般企業では、部下が起こした問題は、例え自分が知らなかったとしても、監督責任を問われて、なんらかの罰を受けるのが普通のように思います。

 私は、本質的には人間に上下は無いと考えています。しかし、人間が生きて行く為には、社会、組織を形成しなければなりませんが、その組織なりを上手く運営する為には、その組織の及ぶ範囲に限って、上司、部下というような役割が必要になることは理解しています。そして、上司は、指示命令権というものを持つことになりますが、一方、部下に対し、そのような絶大な権限を持つ代わりに、結果に対する責任という義務も果たさなくてはなりません。部下をコントロールして、その組織での成果を最大化することが求められるのですが、それはマネージメントと言うものだと思います。つまり、部下をコントロールすると言うことは、部下の判断で行うような、直接上司から指示されたことではなくとも、その結果についても責任を持つのがマネージメントなのです。だからこそ、監督責任と言うものが存在するのです。部下が勝手にやったと言う言い逃れは出来ないのです。部下が勝手な事をやったとしたら、上司はそのような行動に出た部下をコントロール出来ていないと追求されるのです。

 このような一般社会の通念から考えますと、議員が秘書が勝ってにやった、自分は知らなかったというような無責任なことは許されないのです。上司である議員が自分の意に沿わないような行動をしないように、部下である秘書を育成、監督するのが上司の役割なのです。(実際は、議員が裏金を作りたいという暗黙の指示に会計責任者の秘書が応えたのだと思いますが、証拠が無いので、例え議員が知らなかったというのが本当であったとしても、責任はあると言うことを言いたいのです。)

 政治家は、自分達で法律を決めることが出来る権限を持っていますが、自分達に係る法律については、もし悪事がバレても罪に問われないように、政治家に甘いルールを決めて来たのです。そのことに助長して、今回の裏金作りなどと言った不正がまかり通って来たのです。この点を改めないと、このようなことは繰り返されるでしょう。しかし、それはかなり難しいことかもしれません。なぜなら、本音で国民の為に仕事をしようと思っている政治家はほとんどいないからです。本心は、自分だけ良ければという根性の者ばかりだからです。例えば、国会議員が使途を問われないで月百万円支給されてる文通費が問題にされ、改訂が必要であると一時盛り上がったことがありましたが、現在に至ってもほぼ進展していません。自分達には非常に都合のいいお金については、結局そのままになっている訳です。このブログでも以前取り上げましたが、正当な政治活動に使用するのであれば、使用目的と領収書を添付して、その使途を明確にすべきだと言う、非常に当たり前のことすら決められないのですから。

 今の政治家では、自浄作用なるものを期待出来ません。だからこそ、政治家のお金、権限、特権などに係る法律は、第三者で構成された何か特別な委員会などで検討し、発議するようにしなければならないと思います。