2022年度末時点で、海外に5千万円を超える資産を持つとして税務署に報告した人数は1万2494人で、総額5兆7222億円だったことを、国税庁が発表しました。2017年末の9551人、総額3兆6672億円から大幅に増加しています。また、2023年の東京23区の新築マンション平均価格は1億1483万円だったそうです。

 多くの庶民が物価高に苦しんでいるのとは対照的に、庶民とはまるで別次元にいるような裕福な人達が増えているのが分かります。貧富の格差は益々拡がっているのです。

 このような状況を分かった上でも、政府は一律の所得税減税や、国民すべてを対象にした大学無償化などと言った政策を進めようとしています。

 今の自由経済では、富めるものはさらに富み、貧するものはさらに貧するのが、自然の成り行きなのです。これを緩和するには、政治の力が必要ですが、政府の政策は的外れな平等理論で、この貧富の格差の広がりを助長するようなことしか出来ていません。

 もちろん富を増やすのに、個人の努力があるということを否定している訳ではありませんが、運の要素も絡んでいることも否定出来ないのです。私は、全世界の富は太陽などの自然の恵みから生み出されるのが基礎にあり、これをどう獲得するかは、そのときの社会、経済のルール次第だと思います。その時々のルールに上手くはまれば、又はルール違反を上手くやれば、富というものは集められるものなのです。富の源泉は人々の労力により為されたものですが、その成果物を人々から上手く搾取出来たものが多くの富を獲得することになっています。

 この古来からの成り行きに歯止めをかけることが出来るのは、政治なのです。しかし、政治が富裕者達に迎合してしまうと、貧富の格差は広がるばかりです。歴史的に見れば、古来より一部の人間に都合よく作られた階級社会、身分社会により、非常に大きな格差がありました。第二次世界大戦後、植民地などの非支配国家の独立、独裁国家から民主主義国家への変遷が続き、この格差は一時的に縮小されていました。しかし、自由主義、資本主義経済の進展により、経済活動そのもので新たな格差を生んでいき、あらたな富裕層、貧困層という構図が作られて来たのでした。共産主義、社会主義という別次元の経済で、平等社会を目指した動きもありましたが、経済的に破綻を招き、社会主義は名ばかりの資本主義経済に変貌してしまい、そのような社会主義を標榜とする国々でも同様の格差を生むようになりました。

 日本は民主主義国家として戦後にいちから出発し、軍閥や財閥、大名主などは解体されて、戦後昭和はかなり貧富の格差が縮小された時代を経験しました。しかし、その後、欧米の自由経済ルールが入り込んで来て、結局、あらたな貧富の格差をうみ、拡がっていったのです。

 私自身、戦後昭和のある程度政府が経済活動などに介入した社会をすべてを否定したいとは思いません。確かに、あらゆる経済活動や市民活動を細かく規制したやり方は成長を阻害したことは間違いありません。だからと言って、ほとんどの規制を取っ払うと言った極端な方向も、新たな格差を生む原因になってしまったからです。格差の幅をコントロールして、出来るだけ多くの国民がある程度豊かな暮らしを送れるようにする政策は必要だと思うのです。私が、新ハルモニア主義(1.~15.)の説明で述べているような、自由競争は推進するが、極端な格差を生まないようなコントロールを効かすような法律、政策を作らないといけないのです。

 多くの人々がある程度豊かな生活を享受し、ひとりひとり自分の幸せを追求する社会になれば、大きな争いは無くなります。つまり治安が維持され、安心して暮らせる社会が実現します。これは今の富裕層にとっても大きなメリットになると思います。ですから、一部の富裕層で富を独占しないで、社会に還元しましょう。そしてそれが実現しやすいルールを政治が作っていくべきなのです。

投稿者

弱虫語り部

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