前回のブログで、政権が選挙で支援が期待出来る大企業、富裕層の方ばかり見ていると言うことを述べさしていただきました。確か故安倍氏が首相のときに、労働派遣を使い易くするような労働環境の整備をし、それまで正規社員の比率が大半を占めていたのが、非正規社員が劇的に増えることになり、今日に至っていることなども、政府が一般労働者より企業を向いていた典型的な例だと思います。これにより、企業は、業績の善し悪し、需要変動により、非正規社員の雇用又は雇い止めにより、調節することが可能になりました。政府はこれを日本企業の国際競争力をつけるための施策と説明していました。しかし、一部の大企業が国際競争力を付けて生き残ったとしても、多くの一般国民が生活に窮してしまうなど間違っていると思います。政治というものは、多くの犠牲者を作りつつ一部の特別な国民が喜ぶようなことをしてはいけないのです。つまり、全体が助かるような共助の政策を出さなければならないのです。その為に、富裕層から一般国民に富を移転して、困った人達を助けるような施策も必要なのです。
企業の立場としても、もし、企業活動が収益を少しでも多く獲得することだけを目的とするならば社員のことは後回しなのかもしれませんが、実は企業経営とはそのような金儲け主義では成り立たないのが正しい認識ではないかと思います。つまり、企業活動とは社会貢献を為す為に、組織を効率良く、創造的、生産的に機能させることに努め、その見返りに収益を稼ぎ、それらの活動の結果として、ステークホルダー全体に(利害関係者)に貢献するものであります。つまり、企業活動は、単なる金儲けでは無く、社会全体、顧客、取引先、株主、役員・従業員すべてに渡り、貢献しなければならないのが使命なのです。
残念ながら、このような根本的な精神を忘れ、ただ単に利益を上げ、株価を上げ、国としては国際収支を上げるというようなことにだけ囚われた結果、肝心の国民の事を置き去りにしてしまったのでした。
最近でも、ヤマト運輸が配達員の一躍を担っていた個人事業主、パート社員、約三万人との契約を打ち切りました。その背景には、メール便の配達を日本郵便に移管すると言うのです。これらの企業間の連携はビジネスとしては良くあるものですが、契約を盾にこれまで散々に支援してもらっていた個人事業主等を露頭に迷わすとは経営の根本精神からは大きく外れるものです。しかし、残念ながら、今の日本の政治家が作った法律では問題ないのです。逆に言いますと、本来、政治と言うものは、企業の競争力強化に貢献するだけでは無く、個人事業主や非正規社員である一般国民を救済することも用意いておくべきなのですが、そこは考えていないのです。
政府がこのようなスタンスであれば、今後も貧富の格差が拡がり続けることでしょう。
企業側としても、ステークホルダーとしての個人事業主、非正規社員にあらたな労働の場を用意すべきだと思いますし、それが企業単独では難しいのであれば、政府が何らかの支援をするべきなのです。個人自業主等に対して、すべて個人責任だと突き放すことはあってはならないのです。何故かと言いますと、企業の幹部、政治家達は裕福な生活を今でも送ることが出来るほどの余裕があるからです。彼らがみんな私財も削って、企業の収益に貢献しているのであれば、ステークホルダーそれぞれも痛みを分かつべきであると思いますが、一部の人達を奈落の底に落としておきながら、自分達は裕福な暮らしを謳歌しているのは、大きな間違いなのです。
このような構図を作った政府も企業も、自分達のことを優先しているという証が、このような状況が示しているのです。