政策活動費の使途不明について、何人もの政治家がすべて使途を明らかにすることは、政治の自由を脅かすことだと非難しています。彼らは都合のいいときには、自由と言う言葉を使いたがります。まるで自由が全ての免罪符であるかのように。そういう輩こそ、国民の本来の自由を奪う権威主義者なのです。

 自由とは何でも許されることでは無い筈です。自由という権利を得るには、社会のルールを守ると言う義務を果たすことが大前提であります。それこそ政治とは、公人の立場で為すべき仕事なのですから、一般国民より厳しいルールが設けられて当然で、そのルールの中に限り、自由が認められるものだと思います。しかし、政治家がルールを作るので、自分達政治家に及ぶルールは自分達の都合いい方向に作られているのが現実なのです。そのような自分に甘い政治家がさらに自由と言う言葉を使って、堂々と使途を明かさないでいいことにしようとしているのです。政策活動費を正当に使用していると言うのであれば、堂々と使途を明確にするべきは当たり前の事なのに、自由が無くなるから使途を示さなくていいとは呆れた言い訳でしかないのです。国民に知られたくないお金の使い方を隠したいからそのように言っているとしか理解出来ません。そのように言いますと、秘密裡に活動を行わないと、反対する勢力にこちらの意図や作戦がバレてしまうから出せないんだと弁解する議員もいます。しかし、そのようなやり方で誰かを出し抜くことが政治でしょうか。議員は常に堂々と、国会という衆人監視の場で、議論し、自分の主張の正当性、論理性、効果を競い合うことが課せられているのではないでしょうか。公人としての仕事は、誰かを出し抜くことが許される金儲けでは無いのです。唯一例外的にあるとすれば、外交、防衛の分野でしょうが、それを政策決定する立場にある大臣、議員はそのような活動に政策活動費などを使う必要はないのです。それこそ公然と税金から賄われる官房機密費などと言ったそれこそ国民には使途不明なお金が用意されているのです。

 政治家、議員達の詭弁とも言うべき言い訳、弁解を聞いていますと、本当に国民の為に働くことに対する知恵の無さが良く分かります。若しくは、国民を何も分からない奴らだから適当に誤魔化していれば、いつかは忘れ去られると馬鹿にしているとしか思えません。どちらにせよ、そのように振る舞う議員達は国民のことを考えて仕事をする人材では無い事は明らかです。

 このような政治家を議員先生としてのさばらしていてはいけません。一人でも多くの国民が真剣に自分の選挙区の議員の言動に関心を持ち、これまで述べて来たような議員には次の選挙では絶対投票しないようにしましょう。