前回のブログで、学校のミスで志望校を受験出来なかった生徒への対応をもっと柔軟にするべきだと述べました。一方、ことここに来てしまったので、この生徒達にかける言葉を選ぶとしますと、受験がすべてではないこと、どんな進路の先にも、幸せな人生に到達出来る道があるので、志望校に入学出来なかったからと悲観してはいけない、今、貴方が進める道の先に幸せを求めて、しっかり歩んで欲しい、と言いたいです。
受験戦争の真っ只中にいる若い人達は、受験をすべてのゴールであるかのように感じているかもしれませんが、受験とは、自分の学ぶ場を選択する為の単なる手段でしかありません。一番大事な事は、どの学校に入るかではなく、自分が何を学び、そしてそこにどれだけ打ち込めるかだと思います。例えば、大学入試を例にとりますと、ほとんどの生徒が知り得るのは、その大学の偏差値レベル、難易度とか、卒業生がどんな会社に就職しているかと言ったことが主で、大学でどんなふうに、何を学べるのかを具体的に知って、志望校を決めている人は少ないと思います。一言で言えばどれだけ有名な大学であるかだけを重要視している傾向が強いのではないでしょうか。その程度の情報で、志望校を決めているのです。だからその合否で貴方の人生のすべてが決まる訳はないのです。
私が今社会人を長く経験した上で、大学で身に着けられた事で非常によかったと思うことは、自分に影響を与えてくれた先生に出会い、その方からの数点の教えであったと感じています。もちろん教養課程でいろいろな分野の広く浅い知識、専門課程である分野の専門的な基礎知識を得たことも就いた仕事にある程度は役に立ったと思いますが、広い世界から豊富な情報を得ることが出来る今の情報社会では、方法さえ間違っていなければ、どのような大学に入ってもほとんど同じような知識は得られると感じています。だからこそ、最も印象に残り、自分の人生に役に立ったのは、恩師と出会い、その考え方に触れた事から得られたものだと思っているのです。
たまたま大学で出会った恩師には影響を受けましたが、かと言って、他の大学でも、また別の恩師から異なる教えを受けて、それにより人生の歩み方に影響を受けたであろうと思います。つまり、広い大学の中でも、数少ない出会いに意味があり、その大学に入ったからそのような影響を受けられた訳ではなく、それは偶然の要素が強く、言い換えれば、他の大学に入って入れば、その中で出会いと言う偶然がまた何かしらの影響をもたらしてくれたであろうと思います。
何をいいたいかと言いいますと、ある大学に入ったら成功や幸せを保証されるものではありません。どんな大学に入ろうが、または大学に入らなくても、自分の歩む道の中で、精一杯学ぶ姿勢を忘れないでいる限り、自分にとって非常に貴重なものを獲得出来、その先に、成功や幸せを得られることは出来るのです。