大学の全員無償化が叫ばれていますが、一般家庭の大学での金銭的な負担が減ることは必要であると思いますが、大学に入ることが全てでは無いので、それ以外の道に進む人達も含めて、公費を有効に使うことを考えなければならないと思います。
私自身、大学教育とは大まかに言いますと、専門的な知識を学び、論理的な思考を鍛える場であると思っています。それが将来、社会に必要な機能を担保する人材を育てることにつながるべきだと思っています。しかし広く社会を見渡せば、色々な所で社会を担う人材は、大学教育だけで育てることは出来ないと思います。それを担保するのは、専門学校や具体的な職業に就いた中で修行するような形態もあると思います。かつてのように、少数の大学出身者が社会の中枢の機能を担うような社会では無くなって来ていますので、大学卒と言う肩書だけでは通用しないのは周知の事実となっていると思います。
そういう状態の中で、大学無償化で目的も無く誰もを大学に入学させても、社会に必要な人材を育成するという観点からは、効率が悪い、効果の少ない方策だと思うのです。だから、専門学校に進む人にも、就職する人にも、その専門的な育成に援助するべきだと思います。要は、例えば25歳くらいまでの若者すべてに、大学に進む、進まないに関係無く、何らかの人材育成としての援助をするべきだと思うのです。但し、金銭的な余裕のある家庭にも税金を使って支援するのは無駄だと思います。それより、そのお金をもっと有効なことに使用すべきだと思います。
もうひとつの観点は、志を持って大学を目指す人達の中の格差を無くすことだと思います。最近、有名大学の学生は、富裕層の家庭出身者が多くなっています。これはどういうことかと言いますと、今の受験システムは、いろいろな技術、ノウハウで構築された受験テクニックを身につけることが、入試には有利であります。その為に、小さい頃から塾や予備校に通ったり、家庭教師についてそのテクニックを修得する方が、学校だけの勉強をしている人より有利となっているのです。また、進学校と言われる学校自身で受験テクニックを身につけさせるような学校も存在しますが、いずれも多額の費用がかかるのです。さらに有名私学の大学では、幼稚園から大学までのストレート進学という道もありますが、これも多額の学費を払えるような家庭の子息に限られています。最近、一芸に秀でた人材を推薦で入学させる道も出来ていますが、実態は、小さい頃から習い事を覚えているもの、海外留学しているものなど富裕層の子息が有利に推薦入学を勝ち得ています。いろいろな進路を見渡しましても、今の日本の制度では、貧富の格差で進学にも格差がついているのが実情なのです。
このような実態を考慮し、教育の場でも、貧富の格差を埋めるような政策を為し、その為にお金(税金)を使うべきだと思います。私の基本的な考え方は、たまたま富裕層では無い家庭に生まれた子達にも、ヤル気さえあれば、平等に教育の機会を得られるような、弱者支援をメインにした施策をするのが重要だと思っています。平等と言う事を都合よく使って、自身でどんな方策でも成しえる富裕層にも金銭的な支援の手を差し出すような政策は、税金の無駄遣いでしかないと思うのです。それより、税金と言う公費を有効に活用する為にも、貧富の格差による教育格差を無くすにはどうすればいいかを真剣に考えるべきだと思います。