ここのところ、受験に関わる内容が続きましたが、締め括りとしまして、新ハルモニア主義の中での教育についておさらいしてみましょう。

 私は人間が幸せになる為にも教育は非常に大切だと思っています。幸せになる為には、自分自身の生き方とその生き方を許容する社会環境が重要です。教育はその両方に対して、非常に鍵となるものです。そういう意味から、教育は、人間が生まれて、長い人生を幸せに生きていく生き方を学ぶべきものなのです。個々人がひとりひとり幸せ探しをどのようにすればうまくいくのかを学び、そして社会はその生き方を可能にする環境を提供するべきものなのです。

 教育とは先に述べましたような目的に照らして構築されるべきですが、実際の教育現場や家庭では、受験に偏った内容となっています。その結果、頭でっかちの社会性の無いがり勉やお金や地位を獲得することに執着した利己主義者や勉強の成績だけで決められた落ちこぼれを多数生み出す結果となってしまいました。そして、不味いことに、多くのがり勉や利己主義者が政治や経済の中枢を担うことになり、本来協調して誰でもが暮らしやすい国を作らねばならない筈が、一部の人間を尊重するような格差社会を形成してしまっているのです。そして、多数の社会から落ちこぼれた人には自己責任と言う言葉で、ほとんど手を差し伸べられていないのです。その結果が、今の日本と言う、多くの一般的な国民が生き難いと感じる国を作り出しているのです。

 この現実的な社会の構図を改革するには、時間はかかるとは思いますが、一から教育を変えていかなければなりませんし、その為には、教育だけではなく、それに大きく影響力を持つ政治、経済の世界をも変革していかなければならないのです。

 この社会には、大多数のWEタイプの人間が存在しており、WEタイプの人間は、家庭、学校での教えや家庭や学校も含む社会環境に大きく影響を受けて、人格が形成されて行きます。その為に、そのときに生き方、幸せ探しのノウハウをみっちり学ばないといけないのです。それなのに、幼稚園から大学、そして社会人までへの道のりを受験主体で過ごすことでは不充分なのです。受験とその進むコースはあまりにも極一部分の道しか示さないのですから。もっと重要な学ぶべきことは沢山あるのです。

  このような基本的な考え方をベースにして、教育内容は決めていかなければなりません。その一例をこのブログの初期にまとめていますので、是非ご一読願います。