今年度、医学部医学科に入学した女性の割合が初めて4割を超えたそうです。数年前に、一部の医学部受験で、女性合格者を減らす操作が行われていたことが判明し、問題になりましたが、そのときの大学側の言い訳は、女性は体力的に激務に耐えられない、出産や子育てで、現場を離れるケースが多いから医師に向いていない、と主張していたのです。
このような話でも、必ず、対象となるのは、男性、女性という分類なのですが、本当に重要視すべきは、個々人の能力、人格、考え方などであるべきと思います。医学部の問題だけではなく、すべて女性を差別しているのは、女性の平均的な特徴を指摘していますが、個々に女性を見れば、個々の男性に比べて優秀で、その職業への適性の高い人が多数存在しているのが事実だと思います。
選抜試験も、もし性別を明らかにせず実施すれば、純粋にその能力を測ることに集中した試験が出来ると思います。
差別というものは、人間をある分類で括って、その性質を規定することが根底にあります。男女、人種、年齢、国籍、宗教、出自などにまつわる差別はどれもそうです。しかし、本当に評価されるべきは、個々人なのです。それなのに、人間はひとまとめにして評価してしまう傾向があり、それが差別につながっているのです。
この人間の特徴を、権力者は自分の欲望達成の為に利用するのです。愛国心などと言うものもまさにそうです。戦前にあったように、日本人は善で米国人は悪だと洗脳するようなことです。本当は、日本人の中にも、米国人の中にも、いい人はいますし、そうでは無い人もいるのが真実なのです。その真実を隠し、敵はすべて悪人だから殺せと権力者は大声を上げるのです。
そして、この差別を利用するのは権力者だけではありません。自分の実力に自身の無い人間が、なんとか少しでも自分より優秀な人間を引きづり降ろす為に、分類分けをして、自分の属さない分類の方の人間を意図的に非難し、排除しようとするのです。
我々はこのような構図が存在することを認識し、差別、偏見と言う色眼鏡を外して、純粋に人間を評価することに努めなければなりません。逆に、分類をベースに、評価する人間に対しては警戒しなければなりません。
差別を無くすことは非常に難しいのですが、しかし、差別は複雑そうに見えて、これまで述べて来たように、単純なところに端を発しているのです。要は、誰かの言葉や周りの言葉に惑わされずに、人間ひとりひとりがしっかりとした人を見る目を養うことが重要なのです。