前回のブログで大リーグドジャース大谷選手の元通訳水原一平氏に関し、幸せ探しの難しさを述べました。彼は、この6年間、大谷選手の通訳その他いろいろなサポート役として、非常に充実した仕事に恵まれ、そこから得られる報酬や待遇も、一般の日本人に比べると桁違いであり、また、数年前には結婚もされて、公私ともに誰からも羨まれるような生活を手に入れたと感じていました。しかし、そのような夢の生活をも壊してしまうほどの事が水面下では行われていたのです。もちろん、彼がどれくらい幸せであったかは我々には分かりませんが、幸せになる環境は充分整えられていたのは間違いないと思います。

 それなのに、何故にそのような状態を壊わす可能性のある事をするのでしょうか。幸せについて色々と考えて来た私が推察するに、このようなケースでは、ほとんどの場合、際限ない人間の欲望が関わっていると思っています。他の生物と違い、人間の欲望は限りないものです。そして、そのことが多くの悲劇を生んで来たと言えるでしょう。物欲、金銭欲、権利欲、支配欲、性欲などが多いと思いますが、そのような欲望が、本当の幸せと言うものを見逃す程膨れ上がり、繰り返されるのです。そういう状態になりますと、麻薬中毒に陥ったが如く、この欲望の檻から抜け出せなくなるのです。

 この闇に入ってしまうと中々抜け出せなくなるので、それを防ぐには、闇に入る前に留まることがポイントです。そして、その鍵となるのは、冷静に幸せについて正しい認識を持つことだと思います。その認識の核は、欲望とは人間が進む為の原動力にはなっても、そのもので、満足感を満たそうと考えるのは間違いであると理解することだと思います。個人の欲望を達成する為には、必ず、誰か他人の欲望とぶつかります。そのことで、争いや、諍いや、不和が生じてしまうものです。本当の幸せは、それぞれ個々の幸せ感を壊すことなく、協調しあった状態の中に存在するものです。それこそ、仕事や趣味で充実感を得られるのは、社会や他人への貢献が為されて、それにより、大きな平穏の世界が存在するようになるからだと思います。人と人との関係で言いますと、自分以外の人間の為に行動することが喜びとなる状態だと思います。

 整理しますと、社会に貢献出来るような競争は必要ですが、己自身の欲望を達成すると言う意味での私的な奪い合い、競い合いなどは不幸を呼ぶものなのです。一方、社会、他人に貢献することに喜び、充実感を得ようと努める中に、大きな幸福感が得られるのだと確信しています。

 このように考えて自分の行動を評価しますと、例えば、今回の水原氏の場合では、ギャンブルに溺れるとはどういうことか、それは自分の刹那の勝負欲、金銭欲を満たす為の行動でしかないのです。つまり、決して自分や家族や親しい人達に貢献出来るものでは無いということで、踏み込んではいけないところだったのが分かります。

 多くの人間がこのような沼に入り込んでしまうのは、自分の人生を幸せにしようとする為の知識が不足しているからだと思います。新ハルモニア主義で訴えたいのは、出来るだけ多くの人に、幸せ探しの方法を理解して欲しいと言うことなのです。