ガザ地域へのイスラエルの攻撃は続いています。その為、国境からの補給物資の輸送も滞り、飛行機などによる空中からのパラシュート投下が試みられている状況です。海岸での投下では狙った浜ではなく沖合に落下した食料を追いかけて、民衆が海に飛び込み、何人もの人が溺れると言う悲惨な出来事がありました。どうしてそのような無謀な行為をするのかと我々は思いますが、飢えが拡がったパレスチナ人にとっては死活問題にある状況でこのようなことが起きてしまったのです。
国連では、このような悲惨な状況に対して、非難し、停戦を呼び掛けていますが、常任理事国である米国の反対にあって、効果的な策を実行することも出来ないのです。
ガザ地区のパレスチナ人の民衆の叫びが、この戦闘を支持するイスラエル政府やイスラエルを支持する米国等の政府に届いているのでしょうか。我々にまで届いている訳なので、届いていない筈は無いと思います。彼らは、それは致し方ない犠牲なのだと、国の為だから犠牲は必要だと言うのです。権力を持った人々は、何かと言うと、国の為、愛国心を錦の御旗のように使っていますが、本当でしょうか。ほとんどの場合、彼らが言う守るべき国や正義というものは、決して民衆が主人公ではなく、彼ら、権力者や富裕層の地位や権利や富を守る為に既存の国家と言う都合良い集合体を維持したいことが主体なのです。
これまで多くの戦争や戦闘が繰り返されて来ましたが、いつも利用され、犠牲にされ、酷い目に遭わされるのは一般民衆なのです。権力者にとって、民衆は富や労働力においての搾取の対象であり、犠牲にすることや命や生活を奪うことなど大したことではないのです。
米国はもちろん、イスラエル、ロシアさえ、選挙で権力者を選ぶのだから、民主主義だと宣わっていますが、それらの選挙が、真の意味で民衆の代表を選択することになってはいません。民衆の代表は、自分の事より民衆の事を優先出来る人物でなければならないのです。
このような未熟な民主主義のままであれば、いつまでもガザ地区の民衆が経験しているような惨状が繰り返されるでしょう。その状況を変えるには、一般民衆が一見心地良い言葉を使う権力者を盲目的に支持するのではなく、自分達自身で、自分達の考えを持って、政治に参加しなければならないと思います。
日本でも、大なり小なり、一部の権力を持つ人間達が陰で富裕層と結託して、庶民の暮らしを犠牲にした政策を進めています。多くの人達がいつまでも政治に無関心で、ただ暮らし向きが悪いことをぼやくだけで終わってはいけないのです。特に若い人達には大きな力となる体力と時間を持っているのですから、それを有効に活用することを願いたいと思います。