戦後日本は敗戦ですべてを失った状態から、高度経済成長を成し遂げ、世界でもトップを争うほどの経済先進国になりました。その結果、総中流化と言われるほど多くの人々がある程度豊かな暮らしを享受出来る国になりました。しかし、そのような状況が永遠に続く訳はありません。日本の経済発展を脅かすような国が次々と現れ、日本の地位は落ちる方向にと転換して来たのです。また併行して、食うことに精一杯だった頃から、自分自身の人生にそれ以外の喜びを求めるような経済的、精神的な余裕が生まれ、戦前戦後にあった、家庭を持ち子供を育てるというステレオタイプの人生感が大きく変化し、婚姻率、出生率がみるみる減少していったのです。その結果、国内消費を支えていた人口増加に歯止めがかかり、減少傾向へと変換したことにより、国際的な経済競争に敗れていくだけではなく、国内消費も冷え込んでいくことになったのです。このように典型的な経済停滞、下降で、失われた30年と言われるような低成長時代が続くことになったのです。

 そのような状況の中、環境問題、エネルギー問題、大規模紛争のような地球規模の大問題に日本も飲み込まれ、単なる経済成長第一主義では通用しないような世の中に変わっていきました。そんな中、昭和から平成、令和と新しい年号を重ねて来て、アメリカ的自由経済(それまで日本は統制経済で、みんなで一緒に発展成長しようと言う政策でした)を導入し、民間人の間では厳しい競争社会となって、その結果、資本を持ち人を使って起業したり、特別な才能で高い能力を発揮する人達が、青天井の富を獲得し、逆にそれらの層から使われ、搾取される一般層、貧困層との格差が大きく拡がった結果、総中流社会から一部の富裕層、特権層に富が偏在する階級的な社会へと逆戻りしつつあります。

 この格差は、ある意味、政治が主導した結果と言えるかもしれません。日本の成長が鈍化した段階で、政治家達は欧米の自由経済社会に対抗するには、欧米風の自由経済を導入するしかないと国民に説いて、国民もそれに従えば、また成長期に戻れ、多くの国民が豊かな生活を維持出来るのではないかと考えたのでした。

 しかし、冷静に考えればわかると思うのですが、米国は経済的に超格差社会です。誰でも才覚と運さえあれば、リッチマンになれるというアメリカンドリームを夢見ることは出来ますが、成功する人は限られていたのです。つまり経済的格差を助長するシステムを持つ国なのです。

 日本は日本的経済政策が壁にあたったことで、全てを否定して、欧米的経済システムを真似しようとしたのですが、それは日本人のマインドにピッタリくるものではなかったかもしれません。日本人に適した自由経済システムを模索すべきだったと思いますが、これまでの政治家にはなかなかそのような知恵を働かせることが出来ず、欧米の模倣をするしかなかったのでしょう。

 また、自由経済で、世界のあらゆる所から、もっとも安くて品質のいいものを調達するのが最善であるとした政策も、曲がり角に到達したとも見えます。つまり、ある程度の規模で紛争が起こったり、貿易相手国で保護政策を持ち出す政権が誕生すれば、自由貿易などいっぺんに破綻するからです。その結果、エネルギー資源や食料の高騰に、今の日本の物価高に苦労することになりました。高値で調達出来るのであればまだましです。その国の思惑で石油や食料の貿易を止められたらどうなってしまうでしょうか。これだけ国際的な緊張状態が続く状況ではそのような可能性も否定出来ないと思います。最も恐るべきリスクは、日本が軍事侵略を受けたり、戦争に巻き込まれることだと思いますが、それさえ現実のものとして対応しないといけない国際情勢だと思います。

 国内での少子化問題、高齢化問題、国民の意識変革など、国際的な食糧、エネルギー事情の変化、軍事的緊張状態、環境問題、大災害など、現状をきっちり認識した上で、日本の将来をどうするかを考えていきましょう。

投稿者

弱虫語り部

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)