基本的に、お金を集めるのを第一に考えるより、費用を最小限にすることを精一杯考えるという理念を持つことが重要です。だから、ゼロベースから競技を実行するのにかかる費用を積み上げ、それを支えるための最低機能を出して、その費用を算出します。この部分で、大きな費用は、競技会場の確保にかかる費用です。東京大会のように、メインの競技場を新設などしたら、すさまじい費用がかかりますので、既存の会場を利用することが基本です。そのために、最大限の工夫をすることです。オリンピックを開催しようとする大都市であれば、過去のオリンピックや各種スポーツの世界大会、世界選手権を開催しているので、ほとんどの競技の会場は既存で保有していることがほとんどだと思いますが、国の面子を立てようなどと考えると、ついつい最新の設備を作り、それで国力を誇示しようとする傾向があります。競技を実施することに対して問題がないのであれば見た目は二の次と思うことが必要です。アスリートが競技することが一番の目的という基本方針を貫くことが大切です。
 ここで、国威発現という目的を排除すべきです。国を率いる首脳やその取り巻きは、本音レベルは、海外、国民へのアピールが一番なのです。そこで、提案ですが、オリンピックの主催者は、国、都市がなるのではなく、開催国のオリンピック協会がなるべきです。今でもそうなっているというのは建前であって、実質は金を出す国、都市なのです。ここでも結局お金が関わって来ます。だから、最初の観点である、最小限のお金しか使わないというのが重要なのです。そこで必要なお金を今の十分の一以下にすることが必要なのです。そうであれば、テレビの放映権料と入場収入、それで足りない部分は、サポーターからの寄付で賄えると思います。逆の言い方をすれば、国民の税金などに頼らない収入の範囲で、開催できるように知恵を絞るのです。政治が口を出せない大会というのが理想です。そうすれば、現在のオリンピックを取り巻く政治的な問題は関係なくなり、オリンピックが創出されたときの理想の実現に一歩近づけるように思います。
 このような観点で考えますと、IOCの幹部が、多大な収入を得たり、贅沢な活動など出来なくなります。オリンピック組織の関係者は手弁当でオリンピックを支えていきたいという人々だけで構成するべきなのです。そうなれば、お金儲けして、いい目をみようとする人達が介在する余地が無くなると思います。
 これまでアスリートファーストだと唱える人達が多数いましたが、これは建前でしかなく、オリンピックを政治利用したり、お金集めに利用するのが本音だったというのは明らかです。ですから、今必要な改革は、真のアスリートファーストを実現することだと思います。これが最大の改革の視点です。国を超えたアスリートとポランティアの頑張りだけで成り立つ大会が実現出来れば、五つの輪が真に融合して、世界平和への国境なき民衆レベルでの絆となっていくでしょう。
 
 

投稿者

弱虫語り部

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