政治と金の問題を語る上で、政治には金がかかる、その中でも特に選挙に金がかかると言われています。今の政治資金に関する法律やルールや慣わしは、この大前提が正しいと言うところから始まっています。誰もが、それは当たり前のこととして、そこから全ての発想が生まれているのです。
私は、そのことが今の政治の大部分の問題につながっているのだと思います。
政治活動そのものは情報収集と課題設定、問題解決と言った頭脳労働で成り立つものだと思います。後者は、金はかかりません。どれだけ頭脳を働かせられるかは、その人の能力によるものです。情報収集については、20世紀までは、議員の手先としての秘書が人脈と足で稼ぎ回ることが主なやり方でしたので、優秀な秘書を数多く採用する為には、かなりのお金が必要でした。しかし、現在は、IT社会となって、その道に長けた人材が少数いれば、かなり効率的に情報を集めることは可能となりました。そうなると、金がかかるのは選挙活動だけになりました。選挙活動も、人気の高い党に属すること、支持団体から組織票を確保すること、さらに浮動票に対してのイメージ戦略を立案し実行することがポイントとなります。残念ながら、立候補者の能力、人格などは有権者に正確に伝わりませんから、どんな人間であろうと優秀な選挙請負人でもいれば、当選の確率はかなり高くなります。ということで、金をかければかけるほど当選確率が上がるのです。世襲議員はそのような環境を親から引き継ぐことが出来、代々蓄積した資金も潤沢にあるので、当選しやすいのは当然です。
そして、政治家が本音に隠している部分は、政治家は、一般人とは異なり、不透明な金を自由に多く抱えられ、裕福な生活も可能で、いろいろな特権もあり、金銭欲、名誉欲を満たしてくれる非常に美味しい職業なのです。それも、今の選挙システムを維持しておけば、特定な人間達だけで、その果実を味わえ、特別階級ともいうべき地位を独占出来るものなのです。今の自民党が特にこの構造に一番どっぷり浸かっているのでしょう。
まとめますと、旧態依然としたやり方で選挙区とのパイプをつなぐ多数の秘書を抱え、選挙資金も潤沢であれば、議員を維持することは容易いのです。そういう意味で二世、三世の世襲議員がかなりの割合で存在しているのは、このような構造があるからなのです。しかし、冷静になって考えますと、そのように選ばれた議員が国民、市民の為に働いてくれる人かどうかなど、この選別方法には関係ないのです。逆に、それを食いものにする人間が政治家を目指すことになるのです。国会にも地方議会にも、そのようにして選ばれた議員が多数いるのですから、国民、市民の暮らしが良くなる訳はありません。
日本の政治は、金と地位目当ての、権力欲を隠し持った人間達で蹂躙されているのです。
この構図を破壊するには、私が常に主張していますのは、議員の特別待遇を止め、選挙のやり方も大幅に改革することなのです。その結果、政治は金を生む手段では無くなり、政治と金の問題は消えてしまうでしょう。そして、金の亡者達は金の宝庫では無くなった政治から撤退していくことでしょう。