イスラエルのガザ地区への軍事侵攻の停止を訴え、欧米の若者達が抗議デモを展開しています。イスラエルはテロへの報復、ハマスの壊滅を目的にガザ地区への攻撃を続けていますが、ガザ 地区の一般民衆が女性、子供も含め多数犠牲になっていることへの抗議と戦闘停止を訴えて行動しているものと思います。
暴力に対して、暴力で報復することでは、互いに罪の無い民衆の犠牲者が増え、憎悪ばかりが増幅され、どちらの人達にとってもとても悲惨な日常が続くのです。歴史的にはオスマントルコが統治していた時代にはユダヤ人とパレスチナ人は共存出来ていたときもありましたが、石油利権などの狙いで英国などヨーロッパ諸国の介入で、両民族は翻弄され続け、今のような深刻な対立関係となってしまいました。一時は和平協定が結ばれましたが、民族闘争にユダヤ教、イスラム教と言う宗教対立も絡み、周辺のイスラム国家を巻き込んで、非常に複雑な対立構造が出来てしまいました。しかし、そのような紛争で、犠牲になるのはいつも一般民衆です。
このような悲劇に対して、欧米の若者達は、とても見過ごせないと、行動に出たものと思われます。暴力的な行為は許されませんが、非暴力のデモで抗議を続けるのは大変意味があると思います。若者が、社会の不条理に対して立ち上がることは、なかなか行動出来ない我々大人に比べ、素晴らしいと思ってしまいます。大人となって社会に出て、組織に属するようになると、長いものに巻かれると言うように、大人しくなる人が普通です。確かに、帰属する会社や団体の中で、目立たなくなって、自己保身が身についてしまうものです。
そういう意味で、若者が声を上げて、社会の矛盾や不合理、不条理に対して、抗議する姿勢を、青い行動だと眉を寄せるのではなく、我々大人はその意味に気付かないといけません。多くの民衆が諦めるのではなく、保身に走るのでもなく、誤ったことは誤ったと、正しいことは正しいと、声を上げるべきだと思います。それを若者の行動から、思い出すべきだと思います。
我々は、世界の権力に対して、唯一出来ることは、団結して、声を上げることだと思います。今の国民を置き去りにした政治に対しても、他国の脅威に軍事力を増強することしか出来ない政府に対しても、声を上げるべきです。権力を持たない世界の多くの民衆の声こそが、自分達民衆の平和と暮らしを守る最大の武器であるのです。