ガザ地区での悲惨な戦闘は、世界中の反戦の声も届かず、未だ停戦交渉も合意に至っていません。このような一般市民を巻き込む戦闘がどうして続くのでしょうか。

 罪の無い民衆を巻き込んでも戦闘を続けるのはどういうことでしょうか。ハマスのテロが発端となったのでしょうが、長い年月の中でお互いの主張が嚙み合わずに結局武力に頼らないといけないことになった根が深いものがあるとは思います。しかし、一旦武力に頼ってしまうと、際限無く殺し合いが繰り返されることになってしまいます。

 どのような国でも、殺人は許されていず、重い罪が課せられます。また、どんな宗教でも、人を殺めてはいけないと聖典などに記されていると思います。しかし、それが通用しているのは、国の中、同じ宗教の中だけであり、国が違い戦争状態であれば、対異教徒であればと勝手な解釈で、殺人を容認してしまうのです。つまり、権力者、指導者は自分の都合のいいように、人殺しという最悪の手段を利用して来たのです。

 我々は人種、民族、国、宗教に関わらず同じ人間です。自分が抗えない力で命を脅かされるとしたら、人間はどんな気持になるでしょうか。そのことを想像すると、人を殺してはいけないのは簡単に理解出来ると思いますが、自分本位であれば、そして、自分が殺される側ではなく、殺す側であれば、殺人を自分の欲望達成の為の手段としてしまうのです。いつも、戦闘の最前線で命のやりとりをするのは権力とはかけ離れた弱い庶民です。そして、弱い女性、子供も巻き込まれて悲惨な目に遇うのです。

 このことを冷静に見れば、敵味方関係無く戦争などやりたくも無い庶民が戦い合い、殺し合うのが現実です。権力者達の愛国心や信仰心から戦うのだと言う誤魔化しに乗ってはいけません。戦いはあくまで、権力者達の富や地位や権力を守る為に為されているのだと言うことを理解してください。そんなことにどうして命をかけないといけないのでしょうか。

 残念ながら、この真実を知っている米国、英国らの権力者達も、自分達への利害を第一に考え、行動しているのです。ですから、毎日毎日現地で多くの犠牲者を出し続けていても、本気で停戦への圧力もかけないのです。戦闘の当事者も利害関係者も、ガザの民衆の命より、己の利益が第一なのです。

 今こそ、この真実を世界の民衆が知らなければなりません。我々人民が、権力の言葉に騙されないで、全ての命を大切にしましょう。我々は権力者の捨て駒ではないのです。