人間が自分が一番大切だと思っているのは個の保存の概念から来ていると思われます。そういう意味で、自分の子供に自分の財産や地位を受け継がしたいと考えるのも必然かとも思えます。しかし、皆が皆、そのような自分本位の行動に走ってしまうとどうなるでしょうか。地球という限られた場所にあまりにも多数存在する人間という生物はそのまま滅亡への道を進んで行くのだと思います。そうならない為に、人間には協調、統率という概念が必要なのです。

 難しいのは、この自己中心的な部分と協調とのバランスだと思います。そのバランスを理解する為に、これまでの人類の歴史を読み解いて行くべきだと思います。人間の数々の営みで、どのような結果を生んだかをきちんと総括するのです。この総括については、いずれこのブログで特集を組んでみたいと思います。

 今日のところは、日本の政治家の自己中心的な行動に焦点を当てたいと思います。冒頭で、自己中心的な行動は人間の本能から備わっているのだとしましたが、人類は長い歴史の中で、その生物としての本能を抑制する英知を磨いて来ました。それが公私の中の公と言うものです。人間の集まり、集合体を作り上げ、個々人とは違う、公人という擬人的な立場を作りました。その最たるものが、民主主義における代議士、議員というもので、民衆の代表として、民意を反映して、政治を司ることなのです。

 公人は、社会全体の代表としての疑似人格でもって仕事をしなければならないのですが、今の政治家、議員はこのことをわきまえていない人が多いのだと思います。公人であれば、職務についているときは、自分個人(私人)と線引きをしなければなりません。つまり私欲を抑制することが要求されるのです。しかし現実はどうでしょうか。議員になる目的が、その高い地位、多額の報酬、手当、様々な特権を得ることであると思われる人が多過ぎると思います。本来は、己の欲を抑えて、国民、市民の為に尽くすと言う役目があり、その代償として、地位、報酬、特権がついてくるのですが、本末転倒となっているのです。自分自身の欲望を達成する為に議員になっているのです。そういう人に、国民、市民の為の仕事をしなさいと言っても、無理な話なのです。

 そうであれば、そのような私欲達成の為に議員になろうとする人間を選挙で選ばなければいいのですが、今の選挙活動では候補者の本心を明らかにするのは難しいと思います。ただ、私の経験で皆様の参考になると思う事柄を示します。政治家が家族を秘書にしたり、後継者にしたりすることがあると思いますが、そのような行為は自己中心的な本能的な行動だと思います。つまり、公人としての客観的な立場を逸脱していますので、私欲を達成しようとする傾向の強い行為だと思います。岸田総理の例をとりますと、彼は長男を公的な政務担当の内閣総理大臣秘書官に採用していましたが、長男の度重なる軽率な行動が明るみに出て、更迭したことがありました。この長男のような社会性にも劣る人間を重要な職に就かせること自体、岸田総理も公人としての常識にかける人だと思います。ほとぼりが冷めれば、また復職させるのでしょう(岸田総理の個人事務所の秘書としてもう永田町に戻っているようです)。

 現行の選挙制度の下では、このような行動を見ていて判断するくらいしかありませんが、議員は世襲が当然として、一族で議席をたらい回ししているようなケースはよく見られる状況だと思いますが、彼らに公人の精神を思い出してもらいたいものです。

投稿者

弱虫語り部

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