NHKのアーカイブ映像で米国との安全保障条約の締結時の混乱を描いていました。まずは、60年安保闘争と言われた、最初の条約締結時の全学連を中心とした反対運動の模様でした。そして、その10年後の契約延長時の70年安保闘争でした。そのときは多くの学生運動の会派が乱立した時代でした。いずれも大学生が米国との不平等条約に反対して大規模デモや国会などへの突入という強攻手段で、警察機動隊との激しい衝突が続いていました。

 最近ではそのような学生による過激な政治活動はほとんどなくなっていますが、若者が正義感に駆られて起こした行動で、中国の天安門事件、香港の民主化運動にも通じるものだと思います。

 大変残念だと思えるのは、安保闘争での学生と機動隊の衝突を見て、吉野源三郎氏(最近でもアニメ化された「君たちはどう生きるか」の著者)が述べていたことと同感なのですが、学生サイドも機動隊も実際に戦っていた者達は二十歳そこそこの若者同士だったと言うことです。どちらもその使命に従い、ぶつかった訳ですが、本当に戦うべき相手は、そのときの首相はじめ政府の要人、議員達であるべきだと思います。彼らが国民の声に耳を傾け、野党議員との論争で、国民が納得いくように説明を果たしていればいいのですが、結局は強行採決で推し進めてしまうようなことをするから、国民は理解出来るはずもなかったでしょう。政権は正しい道を選んでいると主張していますが、そのやり方では独善と呼ばれてもしょうがないと思います。これに社会人は不満があっても立場を考えて反対行動に移す人は少なかったのですが、学生は違っていました。これは天安門でも香港でも見られた構図だったのです。そして、権力側は軍隊や警察を使い、若者を弾圧したのです。死者が出るまでの暴力まで使って。

 権力者は決して、最前線に立つことはありません。戦うのは若者同士なのです。そのことを冷静に判断し、学生も機動隊へ投石したり角棒で突き進んではいけないのです。機動隊も自国民に暴力をふるってはいけないのです。また、戦争で国対国の闘いであろうと、同じように若者が主体となっての殺し合いとなるのです。我々は、権力者に騙されてはいけません。何の権力も持てないけれど真面目な若者達が殺し合ったりしてはいけないのです。

 以前、このブログでお伝えしましたように、我々庶民にはインドの故ガンジー氏が唱えた「非暴力、不服従」しか最善の手段は存在しないと思うのです。庶民ひとりひとりの力は非常に小さいのですが、圧倒的な数を結集すれば、国を動かす力となり得るのです。そして、その力は暴力では無く、無抵抗ではあるが服従しないと言う意志と行動なのです。双方の若者も、このようなことを学んでいて実践したならば、権力者も独善で事を進めることは出来なかったと思います。

投稿者

弱虫語り部

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