人間は誰しも、この世に生まれて来た以上、幸せを求めています。しかし、自分の人生が幸せであったと満足して寿命を終える人はそう多くは無いように感じています。

 ひとつには、幸せを求めようにも、戦争や極端に腐敗した政治下に住んでいることでその実現が難しいと言う社会的な環境が整っていないケースがあります。もうひとつは、幸せになる方法を理解していない個人個人の生き方の問題があります。

 前者は自分の力ではどうしょうもなく、そのような地域、国から脱出することくらいしか手立てはありません。もちろん、そのような体制をぶっ壊すことに人生をかける人もいると思いますが、それを幸せとして捉えられる強い人はそう多くはないと思います。

 それでは、私達日本人はどうでしょうか。日本には、これまでのブログに書いて来ましたように、政治、教育、経済、働く現場、どこにも理不尽な状況があります。しかし、現在も戦時下のウクライナやカザ地区とは違い平和状態にあります。中国、ロシア、北朝鮮のように国民の自由がかなり制限されている訳でもありません。つまり、社会としては多くの改善する余地はありますが、生き方によっては幸せをつかみ取る可能性がかなりある国だと思います。

 そのような日本でどう生きていけば幸せをつかみ取ることが出来るのかを考えてみたいと思います。

 まずは生きて行く為のお金を稼ぐ必要があります。安定な収入が得られることは重要です。しかし、金の為だとは言っても、毎日を嫌々仕事をしていては、いくら多くのお金を稼ぐことが出来たとしても、ちっとも幸せになれません。つまり、自分の適性に合った、苦しく辛いことがあったとしても、遣り甲斐を感じられる仕事に就くことが非常に重要です。

 その為に、中、高、大学時代の最も大切な勉強は、自分が何に向いているかを探すことなのです。その自分の得意なことがどのような職業に就けば活かされるかを知ることです。偏差値の高い学校に入るというような目標観とは違います。勉強が嫌いだけど、頑張って受験勉強をして、いい大学に入ったとして、どのようなことになるでしょうか。大学入学がゴールと錯覚して、大学時代に得られるべき専門的知識や論理的思考法、プレゼンテーション能力、デベイト術などと言ったものがあまり身につかずに卒業することになります。そうなれば、専門分野とその先にある職業に情熱も抱くことは出来ないでしょうし、成績も良くはならないと思います。大学のネームバリューで就職出来たとしても、会社に入ってから苦労ばかりすることになるでしょう、有名大学出身なのに使えない奴とお荷物になってしまうかもしれません。そんなことなら、得意で好きなこと、例えば、芸術関係でもいいですし、料理やスポーツでも、美容関係や服飾関係でも、どんなことでもまずは情熱を傾けて取り組めるものを見つけることが大切なのです。社会に必要とされる職業は星の数ほどあります。そんな中からどのようにして見つければいいか難しいと思いますが、五教科だけではなく、それ以外の科目や部活動、生徒会活動、それこそ、アルバイト、趣味の世界でもいいのですが、なるべく多くのことにチャレンジしてみることです。

 それらをいろいろ経験した中で、何をしているときに充実感や幸福感を感じられるか、周りの人達の言葉から一歩離れて、自分の心の底の本心と対話を続けて行くのです。もちろん、いろいろなアドバイスや情報を参考にするのはいいのですが、それを鵜呑みにしてはいけません。必ず、自分自身がどう感じるかを確かめないといけません。お金が楽に稼げる、花形である、社会的な地位が高いと言ったような一般的に魅力的な話に踊らされてはいけません。どんな職業でも、表面には見えない大変さがあります。それを乗り越えるには、その職業にどれだけ遣り甲斐を感じられるかで決まるものなのです。そういうことが無い限り、安易に職業の選択をしてはいけません。

 そのようにいろいろと経験したり、勉強したり、情報に触れる中で、これなら長く続けられると思う職業を探すのです。それを見つけることが幸せへの基礎となります。そのような職業に就き、それである程度のお金を稼げるようになると、お金が全てでは無いことに気付くようになります。そうでない人は、お金を稼ぐことが人生の目標になったり、お金を使って贅沢な暮らしをすることが幸せだと錯覚して、そのことに突き進んで結局空しい時間を過ごしたと後悔したり、お金を稼ぐのに失敗して人生が終わったというような挫折感を味わったりすることになり、本当の幸福感を得られないままになってしまいます。

 幸せ探しの第一歩は自分に適した遣り甲斐の持てる職業に就くことなのです。これで日々の生活に安定を確保出来ることが重要なのです。そして、その生活基盤の上に更なる幸せ探しの旅が始まるのです。