前回のブログで、生きて行く為の糧を得る為の職業選択が重要であることを述べました。以前にも、ひとりひとりが自分の食い扶持は自分で稼ぐことがこの世界を安定に成り立たす為に必要であり、そのことで、みんなが社会に必要な富を生み出し、貧困や飢えから人間が解放されるのであると述べました。もちろん個々のレベルでは、親の扶養を受けられなかった子供達や病気になって働けない人もいますが、そのような弱者を社会全体で支援することも重要であると考えています。逆に他人が生み出した富を搾取し、自分達だけが贅沢な生活をしようとする利己的な人間達もいて、彼らの行動が世界に飢えや貧困を生み出し、それにより、社会情勢を悪化させるようなこともあります。ですから、もうひとつ大切なことはそのような利己的な活動を制限するようなルール作りも必要で、その為には法律を作って、その法のもと、人間の行動をコントロールし、それに違反すれば罰するという万人に公平な秩序を築いていくことが求められるのです。
残念ながら、今の世界のルールは未だ不完全です。その不完全さに付け込んで、ひとに迷惑や危害を加えてでも己の欲望を満たそうとする人間が多数存在しているのです。このことを前提にして、私が提案しているのが政治、教育、経済の変革なのです(このブログの1.~15.を一度読んでみてください)。このようなルールがあれば、かなりの程度、真面目に生きていく人が報われ、弱者も支援される社会が実現出来ると思います。
しかしそのような社会が実現するまで、幸せ探しを諦めろとは思っていません。それが前回のブログから始めたテーマです。どのような社会でも、幸せを求められる生き方があると思っているのです。その一番目が天職探しであり、次は、幸せに対する考え方だと思っています。
幸せとは、人それぞれ感じ方が違いますので、定型的な見本のようなものは存在しません。だからこそいつも述べていますように、自分独自の幸せ探しを人生の目標とすることです。但し、ここにもルールがあって、他人の幸せ探しも尊重し、他人を害することは極力避けなければならないと言うことです。この基本ルールを守りさえすれば、自分の幸せ探しの旅は自分特有であっていいのです。他人がどう見ようが、どう言おうが、自分で決めるべきものなのです。人は他人と比較して良いとか悪いとか判断する傾向がありますが、それは一番やってはいけないことです。自分の気持ちが安らかであり、充実出来るのであればそれが本当に求めているものなのです。
私も長く生きて来た過程で、いろいろな人間を見て来ましたが、幸せな人生を送っておられると感心した人達は、大金持ちで贅沢な暮らしをしている人達ではなく、どちらかと言うと裕福と言うよりは、小市民として社会のルールを守り、他人に優しく自分に厳しい、周りの人達から仕事でも一目置かれて、その結果生きて行くだけの稼ぎがあって、他人の評価などあまり気にせずに無心で楽しめるような何かを持っておられる人なのです。
学校や家庭では、社会的に高い地位に就き、富をいっぱい手にし、楽に暮らせるように、一生懸命に勉強しなさいと言われる人が多かったと思いますが、そのようなコースに乗れなかったら幸せになれないような印象を子供達に植えつけてしまっていると思います。その為に、幸せになれないからとやけになり、敢えて道を踏み外そうとする人も出てしまうのです。
それは違うのです。どんな人でも、幸せをつかむことが出来るのです。逆に手段を選ばず富や地位や権力などと言ったものをつかみ、人間の欲望の争いに巻き込まれて不幸になる人も多く存在しているのです。
だからこそ、富や権力に魅入られることなく、本当の自分の心の欲するものを探してみましょう。それは、どんな職業であれ、どんな地位であっても関係無く、見出すことが出来るのです。