この社会は一部のリーダーや幹部によって動いているように、一見、思われます。政治家や経営者らが人の上に立って、人に指示したり、計画を決めたり、ルールを決めたりすることで、我々庶民の生活は大きく影響を受けています。確かに、そのようなリーダーシップや統率力が無ければ、社会が機能しないことも事実だと思います。
しかし、今、政治の世界でも、経営の世界でも、国民や従業員をないがしろにするような事が多く目についています。これは、リーダー達の怠慢、思い上がりが原因ではないでしょうか。
まず社会の基礎となる食料、商品、エネルギーなどを生産しているのは誰でしょうか、すべては現場で作業している多くの労働者が地道な作業をしているお蔭なのです。リーダー達はこのことを一時も忘れてはいけません。会社でも、社長や幹部は多くの労働者の地道な活動が無ければ、何も始めらないのです。自分の才覚で、みんなを養っているんだと思っている人が多いと思いますがそれだけでは何も生まれないのです。政治家だって、先生先生とおだてられて、勘違いしている人が多いと思いますが、国民の労働があってこその自分達の豊かな生活があると言うことをしっかり認識すべきです。悪い表現ですれば、人民達から搾取して、生活出来ているのだと言うくらいに考えた方がいいと思います。そのような謙虚な考え方があれば、今のように国民不在の政争を続けて行ける筈はないと思うのです。
国民主権とはそういうことなのです。人間は本来どこにも上下の関係などない筈です。それを作ったのは、搾取の仕組みを根付かせる為に一部の人間が特権を得る為に考えた方便なのです。階級社会、封建社会などはそれがさも正しいと言う為に築いた正当化手段だったのです。もちろん、真実はひとりひとりの生産的活動が必須な社会なのですから、いずれは虐げられた底辺の多数の庶民が異を唱えるのは必然だったと思います。それが革命や民主化運動を生んで来たのです。第二次世界大戦後、民主化の流れは大きく進展しましたが、残念ながら、民主主義においても、政治的階級、経済的階級を作らざるを得なくて、それがいつの間にか、新たな階級社会を生んでしまったのだと思います。
人間とは自分自身できちんとした判断能力が無く、それを補うように生まれや地位などによって階級を作り、それで偉い偉くないと考えたい生き物のようです。だから、つい気を抜くと、階級を作ったり、差別をしたりする傾向にあるのだと思います。
真実は、人間に階級など無いのです。ひとりひとりが自分の適性に応じた役割を演じ、社会に貢献していけば、そして、階級や地位や職業などに上下をつけなければ、みんな生き甲斐を持って生きていけるものなのです。
このような基本的考え方も理解出来ずに、自分は偉いと勘違いし、威張り散らしている人には人の上に立つ資格はありません。どんな人もその働きで社会を支えている、その働きが少しでも欠ければ、政治家も経営者も豊かな生活など成り立たないことを自覚して、謙虚にその役割を担うことに邁進すれば、もっと多くの人達が暮らしやすい社会が出来ることと思います。