全国に多数の障害者施設を運営する会社で、食費の水増し請求、人件費の架空請求が発覚し、事業停止などの処分に追い込まれたそうです。愛知県、名古屋市、厚労省が厳しい処分を発表しました。この会社は、障害者を食いものにし、法外な利益を上げたということで、許されることではありません。中でも、重度の障害者を選んで入所させたり、食事を減らすなどと言ったことを本社から指示していたようです。重度の障害者は一度入所すれば移転することが難しく、またクレイムもつけ難いということに付け込んだ卑劣な行為でした。

 このような行為は言語道断でありますが、一方、彼らを罰することだけで行政機関は許されるのでしょうか。私は小泉政権以来、それまで行政が担っていた職務を一気に民営化に舵を切った行政のやり方にも問題があると思っています。公益に関わることや福祉に関わることまでも何でも民営化することが、自由社会の進む道のように説いていましたが、そうではないと思います。民営化すると言うことはその運営者は利益を出さなければなりませんが、その為に、今回のような弱者を食いものにしてでも、少しでも多くお金を稼ごうとする者が出て来ることは予想されることです。それを福祉に携わるものは、天使のように行動し、道を外れないのが前提であるような性善説に則って、法律でカバーしておけばいいと考える行政は甘いと思います。そして難しいことは民間に任せて、自分達は手を汚さないことでいいものなのでしょうか。

 私は公益とビジネスとは相容れないものと思います。例えば、国鉄は民営化されましたが、それにより地方の過疎が進む路線は廃業の憂き目に会いつつあります。住民のことを考えますと、地方で経営が成り立たない環境にこそ、行政が市民、町民の生活を維持する為の負担をすべきだと思います。

 すべて民営化し、ビジネスとして利益至上主義を貫けば、税金の負担は減るでしょうが、今回の例のように、国民、市民、特に弱者と呼べる底辺の人達に多大の不便、悪影響が生じてしまうのです。そのような本来必要な税金の使い道をケチって、弱者を虐げることが行政の本分なのでしょうか。

 私は、ビジネスとして市場原理に委ねていいことと悪いことをきちんと考えて、行政の活動を取捨選択すべきだと思います。生活インフラ、医療、教育、福祉に関することは、すべての国民、市民が平等に生活出来るように行政が直接、管轄すべきだと思います。確かに、過去、それによる弊害もありました。親方日の丸と言うことに胡坐をかいて、効率悪い仕事の仕方をしたり、無駄な金を使ったり、サービス精神に欠けたりしたことです。しかし、それらの問題は、ビジネスで利益を追求して解決させるより、従事している人達に報酬などのインセンティブをつけることで、解消出来ると思います。法人としてお金を目当てにすれば、一般国民へのサービスは度外視され易いですが、ユーザーがサービスされて喜ばれることに対して従業員を評価する制度にすれば、皆さんへのサービスは向上して行く筈です。

 公益を主とする事業の民営化を進めることは、自由化という綺麗な衣装を纏った、本当の狙いは政治家、行政の責任逃れでしかないのです。本来は行政がその目的を理解し、きちんと責任を果たすべきなのに、潰れないからといい加減にして来て問題を山積みにしてしまったのです。そのような状態の公益事業を放り投げることで、一気に問題解決しようとした政治家の企みだったのです。そのツケが今になってあちこちで表面化して来たのです。