前回のブログで、何でもかんでも民営化することは、民間の自由を拡大するとの一見耳障りの良い言葉に、胡麻化されて来たものだと述べました。

 自由は非常に大切なものですが、残念ながら、自由になるとそれを逆手にとって、悪用するものがいるのが現実です。自由であっても、他者に悪影響を与えないように自主的に自制出来るほど人類は成熟化してはいないのです。さらに社会には、貧困や飢餓に晒されている人、生まれついて障害のある人など、少なからず弱者が存在しています。そのような人達に対して、社会の仕組みで手を差し伸べなければなりません。自由に潜む利益至上主義になれば、そのような弱者は排除されます。また、個人や民間企業では手を出せないある意味利益度外視の公共性第一の事業もあります。ですから、すべて自由な世界は現実的ではありません。最低限のルールは必要ですし、みんなから税金を徴収して、個人では出来ない、公共の利益となることを税金を活用して、実行していかなければならないのです。

 大事なのは、民間の自由は最大限認めつつ、基本的なルールは課して公平な競争環境は作りつつ、利益至上主義であり、ある意味利己的な民間では出来ない、公共性のある事業はきちんと官営で進めるべきだと思います。

 私が強く主張したいのは、民間に委ねると、利益至上主義になるということで、それでは国民の全ての人達の基本的な生活に支障が生じる場合は、民営化するべきではないと思っているのです。この考え方により、公共と民間の線引きをすべきなのです。実は日本の昨今の民営化はそのような定義ではなく、公共事業で現状に問題を抱えているものを、どうしようも無くなって放り出して、民営化してしまったのです。民営化すれば問題が解決するとしていたのですが、本質的にはもっと正面から問題に取り組めば、民営化しなくとも問題を解決出来ることに目を逸らしてしまっていたのです。

 小泉首相は郵政民営化を叫ぶことで、国民の支持を得ました。郵政事業に利益至上主義を導入すれば、必死になって、サービス向上に努めるだろうと言うことでした。しかし、そんな単純な問題ではありませんでした。公共事業でいる問題は、努力しなくとも会社は潰れないというぬるま湯精神から生まれていると踏んでいたと思います。もちろん、それは正しいと思います。しかし、例え民間になったとしても、大企業である以上、簡単にぬるま湯精神が払拭出来るとは思えません。要は、官民に関わらず、働いている人達のモチベーションをどのように上げるかと言う具体的なアイディア次第なのです。

 郵便事業は何の為にあるのか、何をすればいいのかという目的意識もなく、目の前の仕事をこなしていれば毎月決まった給料が貰えるとなれば、例え民間であろうと大した進歩はないでしょう。それは役員、幹部だって同じです。徹底した意識付け、それに応えるような評価制度、そして、それの改革を引っ張って行くリーダー、かなめかなめでその改革を支える人材が必要なのです。そのような所から、実行していくのであれば、民営化に関わり無く、改革が出来ると思います。

 民営化を進めればすべてが解決するように思った人達は浅はかで知恵が無い人達だと思います。確かに、ショック療法とはなると思いますが、それはきっかけでしかありません。本質的な全社員への動機付けを出来なければ、簡単に元に戻ってしまうのです。

投稿者

弱虫語り部

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)