一昨年に、静岡県牧之原市で起こった、通園バスに三歳の女児が置き去りにされ、その幼児が熱中症で死亡した事件の静岡地方裁判所での判決が出ました。
園長に禁固1年4ヶ月の実刑、クラスの担任に禁固1年、執行猶予3年の判決が言い渡されました。園長は園児達が降りるときに確認を怠って、通園バスに女児を閉じ込め、置き去りにした業務上過失致死、クラス担任は、通園してこない女児が欠席だと思い込み、保護者への確認を怠たり、置き去りに気付かなかったことでこれも業務上過失致死の罪に問われたものです。
裁判長は園長は被害者の安全を確保するという基本的な注意義務を怠った過失の程度は極めて重いとして、実刑を言い渡したと説明したそうです。そして、千奈ちゃん(被害者)が生きていた意味、子供を守る大切さを考えなければならないと、声を震わせながら語ったそうです。
この裁判長の言葉、態度を見ていますと、今回の罪がどれだけ重いのかを感じられるものでしたが、業務上過失致死としては禁固1年4ヶ月の実刑判決がその重い罪に相当する刑罰であるとは、なんとも納得がいきませんでした。園長は今回の判決を重く受け止め、自らの責任に真摯に向き合っていくとコメントを出していました。確かに、刑期が長ければ責任を果たしたことにはなるとも思えませんが、園長の起こしたことはどのようなことをしても責任を果たせることではない程の罪であったと思います。千奈ちゃんの人生を無にし、千奈ちゃんと共に歩む両親、家族などの人生をある意味崩壊させてしまったのですから、これからも生きて行く園長、担任はどのように責任を果たしたら良いか、考えようもありません。つまり、このような事件は、起きてから、罰すると言うのでは駄目なのです。
今回、ちょっとしたうっかりが千奈ちゃんの人生を奪ってしまったのです。やった方はうっかりしたと言うことですが、それが人にこれだけ大きな被害をもたらしたことを忘れてはいけません。
私は、安全に対して、取返しのつく行為と、取返しのつかない行為があり、後者に対しては、絶対気を抜いてはいけないことをすべての人が共有しなければならないと思っています。その為に、教育の場で、そのようなメリハリのある安全教育を施すべきだと思っています。それはどんな業務においても同じです。今の安全への教育は、綺麗事過ぎて、ほとんどの人はそんなの出来ないと感じ、全体的にいい加減に捉えられ易い、全く実践的では無いと感じています。人間はミスをする生き物です。だから、ミスをゼロにしろなんて言っても不可能なのです。それより、取返しのつかないミスとはどんなことであるか、それだけは最低限防ぐと言うやり方で対処しなければならないのです。
ちよっとしたミスも責められるようになると、そんなこと出来ないやとなり、すべてに対していい加減になり、本当に注意すべきことが忘れ去られることにつながってしまうのです。
今の自分の行動、行為がどのようなことにつながるのかと想像する訓練を集中的にやり、その想像力が養われると、何に神経を集中したら良いか、つまり取返しのつかないことにつながることを主眼にものを見られるようになります。そのような訓練を義務教育の頃から実施していくのです。
そのような訓練が出来ているものであれば、今回の事件においては、運転手がバスを降りようとするとき、もし園児を置き去りにしたらどれだけ大変なことにつながるかを瞬時に頭をよぎるようになり、例え多分大丈夫と思っても、例えどんなに忙しくても、バスに誰が残っていないかは絶対に確認するようになると思います。今回の被告が陥っていたであろう精神状態、つまり多分大丈夫だと思い大雑把に注意すると言う事は、注意しないと同じだと言うことを認識すべきだと思います。