人間は機械と違いミスをします。しかし、機械と異なり、ひとりひとりその状況の中でいろいろなことを考えることができます。歴史的に見ますと、農業、漁業、商業、工業という生きる為の営みが脈々と続くなか、特に産業革命以降、効率的に仕事を運ぶ為に、分担、手順というものが設定されて来ました。大量生産というこの仕組みの中で、人間は、決められたことをいかに正確に、再現性良く繰り返すことが求められて来ました。突き詰めれば、「機械のようになれ」、これが歯車論です。一方、人間には心があり、作業に必要の無いこともついつい頭をよぎるのも人間です。冒頭に述べましたように、ミスをするのが人間なのです(そのために、誰かがミスをしても他の誰かがカバーする組織、システムが重要です)。ここに至って、ロボット、AIというような技術が飛躍的に進歩し、人間が担っていた作業を少しづつ代替していっています。今世紀中には、人間が歯車になるような仕事は消滅すると思います。歯車的な仕事は機械が、手順を明確にできないような仕事は人間が受け持つことになるのでしょう。問題を複雑にしていますのは、AIです。チェスや将棋の例でも明らかなように、設定、ルールが明確であれば、AIが既に人間を凌駕しています。AIのことを考えますと、単純作業だけではなく、ある程度判断の入る作業も機械が取って変わると思われます。
結局、現在のようなある範囲の中で手順が決められたような仕事はいずれ無くなってしまいます。そのときは、前回のブログで問題にしましたような仕事は無くなると思います。それでは、人間は何をしたら良いのでしょうか。人間は手順ではなく、目的、ゴールを示されて、それに対して、自分の能力、経験をフル活用して、自分でやり方を創造して、行動するというスタイルの仕事をしなくてはならなくなると思います。
今さら、そんなことを言われても出来ないと感じられるひともおられると思いますが、これから生まれて、育っていかれるひとは、そのような将来を前提に、教育されていかなければならないと思うのです。しかし、今の教育は、未だに詰込み方式で、要領よく、根気よく勉強する人(指示されたことを言われた通り実行するのが得意な人)が受験戦争を勝ち抜くようなシステムが前提となっています。このままでは、社会で必要な人材と、社会に供給される人材のミスマッチが拡がっていくという悲劇が待ち受けているのです。
今回、述べたいことは、若者には、「単純な歯車になるな」というのは変わりませんが、その為には、自分自身に身に着けるものが変わって来るということを念頭に、進路を考えて欲しいということです。もちろん、個人ではどうしようも無い部分である受験システム、教育システムを改革することも必要なのです。