NHKのドキュメント番組で、太平洋戦争の終戦から一年間に渡る映像記録が放送されました。東京は繰り返された空爆の結果、多くの死傷者と200万人以上の人達が家から焼き出されて、路上や掘っ立て小屋で生活し、日々の食料調達もままならず、雑草を煮たりして飢えを凌ぐ姿もありました。そのような悲惨な状況下、戦地から生き残った兵隊達が帰国して、益々、食料不足、住処不足、仕事不足が加速して行きました。生活に困窮した若い女性は進駐軍相手に売春をしたり、食料、生活品の配給もままならない中で、政府や軍の隠匿物資、進駐軍からの横流し品が闇市に流れて、それを人々が争って買い求めていました。身寄りのない子供達もその日その日の食料を、盗みなどに手を染めて、何とか生き永らえているのでした。

 このような極限状態の中で、飢餓や感染症などで、毎日死亡する人もいる状況でしたが、人々はなんとか逞しく生きていったのでした。私の親の世代はこのような悲惨な経験をして来ましたが、あまりそのことを次の世代に話してはくれませんでした。義理の父は南方戦線から負傷し帰国していましたが、彼もそのときの事は少しも話することがありませんでした。その地獄のような体験を思い出したくないのだろうと感じていました。

 この世代が中心となって、日本を復興させたのは間違いありません。彼らは多分、戦争前後の非常に悲惨な状態に比べて、復興への苦労はどんなに辛い思いをしても、希望こそあれ、耐えられることだったのでしょう。復興が進むと、命の危険も無く、必要な食料等が手に入ることに、法外な幸せを感じていたのだと思います。

 一方、現代に生活する我々は、一部の貧困層を除き、飢えることもなく、当たり前のように、当時と比べればかなり豊かな生活を享受しています。しかし、それくらいでは、幸せを感じられない人も多く存在するのも事実です。これらは幸せ不感症だと思っています。毎日毎日を食べていける、冷暖房のある快適な家や部屋で寝泊まり出来る、スマホのような便利で高価なコミュニケーションツールを持てていることは、当時の人が見ればどれだけ羨ましがられるでしょうか。その生きる喜びの原点に対して、不感症に成って来たのも事実だと思います。先人が経験した時代のことに思いをはせれば、我々は少なくとも日々の幸せを感じられる環境にいることに気付ける筈です。もちろん、これはあくまでも幸せの土台があるだけで、その土台の上にさらに充実した生活を築いていくことも重要ですが、土台を不幸ととらえるか、幸福だととらえるかによって、さらに上乗せしていくことの幸せのレベルが変わると思います。

 例えば、食事が美味しいと感じるなどのような日々の当たり前の生活の中に幸せを感じられなければ、自分の生き方に不満ばかりが募るようになります。そんな感情では、さらなる幸せ探しもままならないと思うのです。

 

投稿者

弱虫語り部

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)