来たる米国大統領選挙の共和党の候補者であるトランプ氏が銃撃されました。
どんな理由があろうと、暴力で敵対する人を葬り去ろうとすることは許されません。これは民主主義の基本的考え方、つまり物事を決めるには、充分な議論をして、その結果として、多くの人が納得し賛同した案を採用することです。それは単なる多数決でもありませんし、もちろん力が強いものが決する訳でもありません。つまり自分の意見と異なる人を暴力で屈服させることは、全く論外なのです。
今回の犯人はシークレットサービスにより射殺されましたので、その動機は判っていませんが、トランプ氏が大統領になることを阻止しようとしたことが考えられます。しかし、そのやり方が民主主義に反するものなので、決して許されるものではないのです。
マスコミなどは、その事を強く主張していると思いますので、ここでは、少し違った角度から、今回の事件を眺めてみたいと思います。
同様の要人襲撃事件は後を絶ちません。日本でも、安倍元総理の暗殺事件、岸田総理の爆発物による暗殺未遂事件などがここ数年内でも起こっています。
それらの犯人に共通するのは、社会的に虐げられていて、特定の人間を消し去ることが解決策であると妄信していたことです。権力を持つ側と社会に虐げられた側と言う構図が見えて来ます。同じ人間ではありますが、社会的に権力を持つということは、多くの国民に多大な影響力を持っています。しかし、その権力で、すべての人に公平に対処出来てはいません。今の日本、米国では、富裕層、特権層が守られて、底辺の弱者は切り捨てられる傾向にあります。もしかしたら、弱者が考えつく現実的な策が違法ではありますが、一見効果が大となるテロ行為なのかもしれません。もちろん、初めから申していますように、そのようなやり方は本質的な解決策とはなりません。それでも、それしか思いつかないからと狂気の沙汰に走ってしまうのでしょう。
このようなことを深く考えますと、テロ事件が起こらないようにするには、権利を持つ側の人間も、弱者に対し配慮をしなければならないと思うのです。人は自分の意見にも耳を傾けてもらえると感じれば、言葉で対応しようとする筈です。それが塞がれてしまったと感じるから、暴力に走るのだと思います。それが非常に問題なのです。
権力者が良く使うのは「小の虫を殺して大の虫を生かす」ということわざです。それが必要な局面がないとは思いませんが、それが通用するのは緊急的な場面だと思うのです。そのことわざが、政治の世界で定常的に弱者を切り捨てていいとすることとは違います。どうもこの理屈を理解出来ていない政治家が多いように感じています。民主主義社会で、権力を持つものは常に弱者の声を拾っていなければなりません。弱者にだけ向いていても政治にはなりませんが、弱者の声の中にある社会の問題を決して無視してはいけないのです。そこに、本来多くの人達を救えるヒントがあるのです。
このことを肝に銘じ、政治家として見る目を養っていけば、きっと素晴らしい政治家になれると思います。