米国の大統領選挙が近づいています。私はトランプ氏も大統領に相応しいとは感じていませんが、バイデン大統領を支持する気にもなれません。バイデン大統領の討論会での頭の回転の鈍さ、繰り返される言い間違いを聞いていますと、もう老化による衰えが明確になって来ているのは間違いないと思います。そのようなバイデン大統領に対し、かなり多くの人達が、立候補を辞退するように勧めているのですが、本人はまだまだやれると信じているようです。
このような老化による衰えで、今のところ、大統領などの重要ポストを辞めさせるルールはありません。その背景は、老化は個人差が大きく、かなりの年齢でも、頭脳的にも、肉体的にも衰えがそれほど見えない人もいることは事実だと思います。だから、一律の年齢制限を設けていないのでしょう。しかし、問題は老化で衰えて来た人でも、認知能力の低下により自分自身ではなかなか自分自身の衰えを客観的に判断出来なくなってしまうことです。このことが非常に難しい問題なのです。日本の国会にも、多くの高齢者が議員として在籍していますが、彼らの言動を聞いていますと、かなり老化が顕著に現れてきている人も少なくありませんが、本人は若い時と変わらず、しっかりやれていると認識しているふしがあります。だからこそ、議員を辞すのは、よほど健康的な障害が現われない限り、ありえないのです。そうであれば、周囲の人達が本人を説得する必要がありますが、彼が保持する権力・権威を恐れ、なかなかそのような行動に出る人はいません。これが今の政界の悲劇、否、国民の悲劇につながっているのです。
猫に鈴をつけることは、昔から難しいことだと言われていましたが、まさに高齢政治家を辞めさせるのも同様だと思います。
私は、重要なポストには定年制を採用すべきだと思っています。それは老化というものを客観的に判断する方法が確立していないからで、ましてやそういう状況では、老化した頭脳を持つ本人が自分自身では客観的に判断出来なくなってしまっているからです。老いはどんな優秀な人であろうと訪れます。そしてその先に死があります。ですから遅かれ早かれ、世代交代するのは必然なのです。その交代を円滑にする唯一の方法が定年制だと思うのです。
これはすべてのポストに当てはまると思います。公僕であれ、企業人であれ、しかりです。確かに、高齢であろうと卓越した経験や知識、考え方、ノウハウを保持している人はいると思いますが、その方達は、顧問、相談役というような決定権の無い立場で、参考意見を述べることで充分だと思います。その意見をリーダー達が判断して、どう活用するかは、そのときのリーダーに任せるべきだと思います。「老いては子に従え」は非常に含蓄のある言葉なのです。その分、後を任された者は、その責務を果たすように切磋琢磨し、自身にも厳しく、広く模範となるような人物となり、生きていかなくてはならないのです。
注/元来、「老いては子に従え」と言う言葉は、女性の人生における教訓を表す言葉でした(若い時は親に従い、嫁げば夫に従い、老いては子に従う)が、江戸時代以降は、男性に対しても、広く用いられるようになっています。