前回のブログで、お金が集まればその一部を懐に収めようとするズル賢い輩(やから)が巣くう構図について述べました。今回はこれを防ぐ方法について私見を述べたいと思います。
結論を申しますと、権力に全ての権限が集中することで、ピンハネを生む空白を作ってしまうのです。北朝鮮、中国、ロシアなどの独裁国家は言うに及ばず、民主主義を標榜している米国、韓国、日本でも、権限の集中が見られます。
米国や韓国の大統領が検察や判事のトップに自身の賛同者や子飼いの人物を選ぶことで、自分の罪を消してしまおうとすることがよくあります。日本の首相はそこまで大きな権限はありませんが、故安倍元首相がモリカケ問題や桜を見る会などで自身が追求されているときに、子飼いの検察官を検事総長にしようとして、検事の定年制度を変更させたことなど、その気になれば、今の日本のルールでは実質的に何でもやれるということを示したと思います。
政治家がどうして自分達に有利に事を進めて来たかは、自分達に関わる法律であろうと、自分達で決めてしまえることが起因しています。同じように、企業のトップも全権を持っていて、自分達の報酬も自分で決めているのと同じなのです。最近は、報酬委員会という外部人材が決めているとしている会社もありますが、結局その人材を選ぶのは企業トップなので、自分のしたいことをしてくれる人物を持って来て委員に据えれば、実質は自分で決めているのと同じなのです。いわんや部下である役員も多くの従業員も、トップの権限に逆らえずにいるのです。私は、企業の幹部が従業員の平均年俸の何十倍から百倍以上を受け取っているのは貰いすぎだと思っています。それが通るのは、企業トップ達に対する客観的な評価法が無いからだと思います。従業員にはかなり細かく厳しい評価基準がある所が多いのですが、役員の評価は不透明で、トップの感覚的な思いで決まっています。報酬委員会があるところでも、委員でもきちんとして評価出来るだけの情報も持たされていませんし、報酬額の妥当性も、他社との比較などと言ったその人の絶対的な貢献度合いとはリンクしていません。
国家における権限とは、国を治め、国民の生活を守る為にだけ行使すべきなのですが、結局、欲深い人間が権限を持っているので、自分達の為にもその権限を行使していると言うのが実態なのです。権力に金が集まるのが慣わしなのです。
ですから、私は権力の集中を回避すべきだと思うのです。その為に、三権分立は当然ですが、立法、司法の任命権を行政トップに与えてはいけないのです。それぞれ独立した機関とすべきです。そして、議員が立法と行政の両方を担う今の制度は変えなければなりません。行政の長の内閣総理大臣が立法機関の国会の議員がなれないようにすべきです。また、司法が内閣の下の法務省の管轄から外すべきなのです。ここまで出来れば、三権は各々独立した機関として、互いを牽制し合えるようになると思います。
企業についても、法律で役員・幹部の評価法を定め、併せて報酬規程を決めればいいと思います。そうすれば、多くの従業員の職を奪ったのにも関わらず、法外な報酬を得ていたゴーン氏のようなことも無くなると思います。
このようなことを言いますと、国家の統制が強過ぎて、自由主義国家に反すると言われる人もおられると思います。また、真の三権分立だと、日本のリーダーが海外に対して、強いリーダーシップがとれないと言われる人もいるかもしれませんが、それに対しては、別の機会にまた意見を述べたいと思います。