パリオリンピックでは連日熱い闘いを繰り広げています。一方、イスラエル軍はガザ地区への攻撃でハマスの軍事部門カッサム旅団のトップであるディフ氏を殺害したと発表しました。さらにイスラエル軍はレバノンの首都ベイルートへの空爆で、イスラム教シーア派組織ヒズボラの軍事部門最高幹部を殺害しました。ヒズボラは声明で、イスラエルへの報復を示唆しています。さらにイランの首都テヘランでイスラム原理主義組織ハマスの最高指導者ハヤニ氏が殺害されました。イランは直ちに、イスラエルへの報復を宣言しました。

 オリンピックと言う平和を目指した祭典の裏で、イスラエルと敵対する勢力の間に、報復の繰り返しが続いているのです。もちろんウクライナや他の紛争地域でも戦闘が続いています。オリンピックにはイスラエル、イラン、ウクライナ、ロシアなどの紛争の当事国の選手も参加していますが、この極端な対比に大変複雑な感情を呼び起こされています。

 スポーツでもリベンジすると言うような表現がよく使われていますが、これはきちんとしたルールの下での競技における勝敗についてなのです。殺したらやり返すと言った復讐の繰り返しが続くのとは全く意味が違います。基本は、参加する国々が話し合いをしてルールを決め、勝敗を決するのです。政治的、宗教的な紛争でも、どうして同じように話し合いで物事を解決することが出来ないのでしょうか。それは、自分達の正当性を論じられなくなったときに、それを覆そうと暴力を用いる愚かな人間が多数存在するからなのでしょう。武力を使うことで解決しようとするのは、本当は自分達に非があることを知っているからなのです。また、両者にそのような弱みがある場合は、やられたらやり返すと言う報復の繰り返しとなるのです。そのことで、多くの一般市民の命が失われようが、彼らの生活が破壊されようが、関係無くなるのです。

 オリンピックを見ていますと、決着がつけば、勝者も敗者も互いに相手を称え合う姿を目にします。絶対的な勝者も敗者も無いのです。たまたま運悪く敗れることになったのが普通の姿なのです。それでも、相手の立場を理解したり、相手の健闘を認めて、相手をリスベクトすることにより、歪んだ関係にはならないのです。

 このような方法が、人間と人間の間の紛争を解決する最も賢明な形なのです。激しい憎しみからお互いに相手を全て否定してしまうと、そこには、話し合いの余地は無くなってしまうのです。私は、理性的に、視野を広く持ち、相手の立場を理解するように努めれば、どんなことも話し合いで解決できると思っています。その精神が希薄になってしまうことが最も危険なのです。

投稿者

弱虫語り部

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