前回のブログで、日本は脆(もろ)い状態かもしれませんが平和であることが幸せであると述べました。現在の日本は、政治、教育、経済などについてもまだまだ改善の余地があることは間違いありませんが、しかし世界の色々な国々に比べていいところもあるような気がします。
それはその気になればほとんどの情報に接することが出来ることです。典型的な例を言いますと、北朝鮮、中国、ロシアなどのような独裁国家では、情報統制が行われていて、政府が認める情報にしか接することは出来ません(もちろん、IT技術の発達により、その国としては違法であっても、世界の情報を入手する方法はあるとは思いますが、ほとんどの国民は限られて許された情報に接しているのが日常だと思います)。
日本も太平洋戦争で負けるまでは、同じような統制がありました。教育も非常に偏ったものでしたので、一般の日本人の意識も強制的にコントロールされていたのです。ですから、日本人のルーツは二千数百年前に神々が作った神国であって、優れた民族であると多くの日本人が信じていたことや、戦時中は、「生きて虜囚の辱めを受けず」と言う規範や、敵軍に捉えられると酷い拷問にあって殺されると言うような誤った情報が流されていて、その為に自決した軍人や、南方戦や沖縄戦でも一般人が崖から飛び降りて自殺すると言った行為につながっていました。また鬼畜米兵というような、米国人はすべて鬼のような存在であるとまことしやかに語られていたのです。
このような誤った情報に翻弄され、不幸の道を辿ったり、命を亡くした国民は多数存在したのです(もちろん、そのような考えで侵略されたり、迫害された他国の人達にとっても非常に不幸なことでした)。それに比べ、今の日本では、確かにあまりにも多くの情報が飛び交い、その中には誤ったものも多数紛れ込んでいるとは思いますが、一方的に固定的な概念を信じさせられることはありません。私自身も、幼少期から多くの情報に接して来て、それらの情報がどんなことにつながって行くのかを知るようになりますと、それらを俯瞰して見られるようになりました。つまり、かなり真実に近いものが見えて来るようになりました。大人の社会には、綺麗事のように語られてはいても、胡散臭いことが多くあることも理解出来るようになりました。
もし、戦前に生まれて、当時の教育を受け、周囲の大人達からいろいろと言われていれば、偏った考えの持ち主になっていたかもしれません。そういう意味で、戦後の平和な日本に生まれて、多角的に色々な情報に接することが出来たのは非常に幸せであったと思えるのです。
もちろん、今の日本のような情報が溢れている所では、情報への接し方を誤れば、洗脳されたり、詐欺にあったり、騙されることもあると思いますので、その情報の流れをうまく泳いでいく為には、ある程度のノウハウは必要であると思います。ちょっと思いつくような方法は、都合良すぎる話、一部の者だけを利するような話、非科学的な話などは、裏があるんだと思って聞くことです。お金にからむ話は、まずは信用しないことが大切です。また、人間を都合良く一括りにして、批判するのには加担しないことです。私は人間というもの、性別、人種、国籍、宗教、年齢などでまとめることが出来るものでは無く、ひとりひとり個性があって、またいい人もいればそうでない人もいることを常に念頭において考えていくべきたど思います。
つまり、いろいろと勉強し、経験して、客観的に物事を見られるようになれば、日本という国の自由な情報天国も悪くはないと思います。