岸田首相が自民党次期総裁選に出馬しないことを発表しました。政治と金の問題への自民党トップとして責任をとる為などとのことでした。支持率が低迷する中、総裁選においても勝ち目を見出せなかったからとの見方もあるようです。自民党の議員達からは、来たるべき参議院議員選挙や衆議院議員選挙を岸田総裁を党の顔としては戦えないとの意見も出ていたと思います。ここで、岸田首相としての三年間を総括したいと思います。

 私が最初に印象に残っているのは、岸田さんが最初の総裁選に出馬したときに、日本国民の格差が拡大しているが、これを解消したいと言ったことでした。しかし、首相に就任した後は、周辺にいろいろと言われたのか、既得権益を持つ有力支持層からの圧力か、この問題については、分配より成長が先であると後回しの発言に変わってしまい、失望したことです。

 これまでの岸田首相の特徴は、山積みされた多くの問題を認識し、解決したいと言う思いは感じられたのですが、力のある周りの声を意識して自分の考えを進められないで時間を浪費することが多く、最後には追い詰められて独断的な決断をして来たように思います。苦し紛れの判断であったのか、遅きに逸した感も強く、唐突でもありました。それなのに、思い切った有効な策が少なかったように感じています。例としては、やはり政治資金パーティ収入の不記載判明に端を発した裏金作りの問題に対する、政治資金規正法改正や自民党内部の処罰についての、中途半端感だと思います。この問題を根本的に対策しようとは出来なくて、結局、ほとんどが具体策は先送りで、力のある議員には処罰をしないと言ったような、これで真面にやりましたとよくぞ言えたと言う感じで収拾させようとしたことです。国民もそんなことで納得行く訳は無く、支持率は下降の一途を辿って行ったのでした。

 このような顛末に終始したのは、岸田首相の実行力の弱さが起因しているのではないでしょうか。今回、政治と金の問題への責任をとるとしたのも、後付けとしか感じられません。もしその覚悟が当初からあったのであるならば、もっと思い切った対応策を打ち出せたと思います。それが出来なかったのは、当時は、自身の総裁選再選を意識して、それに関係する有力者達のご機嫌を伺っていたから、あんな中途半端なものになったのだと思います。そのとき、自分の首をかける覚悟があったのであれば、怖いものはなかったと思います。もっと大胆に改革する策を打ち出せたと思います。

 確かに、岸田首相はもともと支持基盤が脆弱で、有力議員の後ろ盾が無くては、最初の総裁選にも勝てなかったとは思います。しかし、一旦首相に就いたからには、そのような自分自身の保身に政治判断を邪魔されてはいけないのです。要するに、一国のトップともあろう者は、自分自身のことより、国民の事を優先することが最も重要なのです。良くも悪しくも(私は個人的には、理念が先行して国民の実益がえられなかったと思っています)、小泉元首相は一旦首相に就いてからは、自分の思うように事を進めました。そして、それを国民が絶大に支援するようになりますと、自民党の有力議員、長老も誰も彼に逆らえなくなったのでした。岸田首相も周りの有力者の目など気にせず自分の考え方を前面に進め、それで国民の支持が得られていたのなら、違った道を歩めたと思います。彼は人の話を聞くのが得意だと言われていましたが、現実は人の目を気にし過ぎる臆病者だったのかもしれません。

投稿者

弱虫語り部

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