最近も理不尽な事件や事故で尊い命を失うようなニュースが続いています。高速道路を逆走した車と正面衝突をして亡くなった家族、始業前のアルコール検査後に酒を飲んだ職業ドライバーに衝突されて亡くなった幼い命などが、一瞬で人生に幕を下ろさざる得なくなるといったどうしようも無い事件に何とも言えない憤りを感じずにはいられません。

 個人の犯したルール違反だから、その犯人を罰すれば済むと言うような話では無いと思います。善良な市民をこのような理不尽な悲劇から守ることは出来ないのでしょうか。人間は過ちを犯す動物でありますが、このような取返しのつかないことだけは、社会全体として断固阻止することに努めるべきだと思います。それなのに、政治家や役人は、人間の小さなミスに対して、重箱の隅をつつくようなことに金と労力をかけるのに、重大な過ちが起きることを野放しにしているとはどういうことでしょうか。彼らは真っ当なバランス感覚を持たずに、どこに重点化して対策すべきかを理解していないのではと思えてなりません。

 このブログで何度も主張しています高齢ドライバーのアクセル・ブレーキの踏み間違いによる事故、認知能力低下による逆走による事故が続いていますのに、未だ効果的な手を打てずに終わっている現状、そして今も悲劇が繰り返されるのを政治家や役人達はどのような気持ちで見ているのでしょうか。今の技術では、金さえかければいろいろな手段があります。また、法律で規制することも可能なのですが、政治家の誰一人として、タイムリーに積極的に対策を進めようとしている動きがありません。政治と行政の一番重要な使命は、善良な国民、市民の命を守ることだと思います。金が無いからとか言い訳にする前に、自分達がどれだけ隠れてお金を捻出し、選挙や自分自身の為に税金を無駄に使っているかを考えてもらいたいです。そのお金を国民、市民の為に使えば、どれだけの命が助かるのかを。

 そういう意味では、二人もの人間の命が失われた兵庫県知事のパワハラ問題でも感じますのは、自分は正しいことをやっていると未だに抗弁を続けている知事の感覚にも驚かせられます。自分の行動で人の命が失われたことに対する重みを少しも感じていないように見受けられます。そのような知事に県政の全権を任せていて大丈夫な訳はありません。自分の部下を自殺に追い込み、さほども責任を感じていないような人間が、名も知らない県民の命を守れる訳はないのです。

 これらの事例も、結局、国民・市民の為にと立候補をしても、実際は自分の権力や富の為と言った私利私欲に走る政治家や公僕としての本分を忘れた役人の為せる業なのです。

 今、次期首相を決める自民党総裁選挙で多くの議員が立候補をしようとしていますが、彼らは経済問題、少子化問題、安保問題、憲法問題など、如何にも高尚そうな話をしていますが、名も無い国民の命を大切にするという為政者としての根幹的な精神をどれだけ持っているのか、疑わしい人物ばかりのように思えてなりません。人の命を慈しみ、理不尽な思いに苛まれた被害者に寄り添うような人格の持ち主(AEタイプのような)こそ、人の上に立ち、人を率いる人材であると私は思うのです。

投稿者

弱虫語り部

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)