兵庫県知事のパワハラ問題について、百条委員会での知事の喚問内容が報じられていました。知事はパワハラに訴えられている事象については、表現的に行き過ぎているかもしれないが、すべて職務遂行に伴う、指示や指導であるとし、またパワハラの認識を否定し、パワハラを決めるのは委員会であって自分では無いと抗弁していました。

 これが彼の正直な気持ちであったかもしれませんが、これから判るのは彼は典型的な自分よがりで独善的な性格の人間であると言うことだと思います。

 このブログの「21.パワハラの力学」、「22.パワハラの力学 その2」でパワハラが起きる状況などについて述べていますが、パワハラを起こす人間は自分自身では間違ったことをしているとは思っていない、良かれと思ってやったことだと認識していることが多いのです。その中で一番欠落しているのは、ひとの気持ちを慮るような想像力だと思います。

 知事は絶対的な権力を持つ者の言動、行動が下位者の心にどのように映るのか考えたことは無いのでしょう。知事はアンケートで書かれた事象それぞれについて、自分はこう思うと答えていますが、すべて自分が中心の話に終始しています。そして、その時々の自分の感情から、激高したり、物を投げたりしていたようですが、少しはそんなことがあったがそれほど酷いことはしていないと弁解していました。

 私も職場で同じようなタイプの人間が上司であったことが何回かありました。大体虫の居所によって、爆発したり、それほどでもなかったりと首尾一貫していないのも特徴です。このようなときに、こちらが冷静に対応したら、尚一層ヒートアップしたりもしました。要は、本人は指示や指導とは言っても、感情が先走っているのです。

 いずれにせよ、本人は自分のやり方が悪かったと言う認識はありませんので、今回のようにいくら追求しようが、答えは変わりません。

 今回のことで一番大きな問題だと思うのは、告発されたとき、告発された当事者が告発に対応したことです。自分は何も悪いことをしていないと言う認識の知事は告発内容を見たら、全ては嘘八百だと激高したのでしょう。そして、頭にきて、告発者を公務員にあらざる行為をしたと処分してしまったのでしょう。本来は、取り巻きの人達が当事者である知事では無く、第三者がきちんと調査し判断すべきだと、知事を諫めないといけないのですが、そんなことをすると自分自身にも火の粉がかかると思って、知事の判断に従ってしまったのだと思います。

 それがパワハラだけに留まらず、人を死に追いやるような強行に走らせてしまったのです。それなのに、平然とした態度でパワハラ行為を否定することに終始している姿に、人間の心が少しも感じられません。百歩譲ったとしてパワハラ行為は告発書のとおりでは無いとしても(私はそうは思いませんが)、自分のルール無視の行動(第三者のきちんとした調査、見解を待たずに当事者が告発者を処分したこと)で人を死に追いやった重大な責任はあると思いますし、そのことへのきちんとした言葉を発するべきです。

 パワハラ行為に端を発した問題が、そのような行為を許してしまう環境があると、人を死に追いやることにつながることを、知事本人だけではなく、関係した兵庫県庁の幹部達にも充分認識してもらいたいと思います。そして、パワハラの行き着く先にはこのような悲劇が生まれることを我々もしっかり心に刻みたいと思います。

投稿者

弱虫語り部

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