兵庫県知事への県議会議員全員の辞職勧告が揃った時点で、知事の会見がありました。その中で、これまで県庁職員が二人も自殺したことにはほとんど表情も変えなかったのに、自分を推薦してくれた自民党議員に対して涙を見せていました。どういう思考でそうなるのかと考えていましたが、次の言動にそのことを理解するヒントがあるように思いました。彼は兵庫県の未来の為に努力して来たこと、そしてそれを知事として貫徹したいことを切々と訴えていました。それを実行出来ている知事というポジションに推薦してくれた議員達のことを思い、涙したのかもしれません。彼のこの気持ちがこれほどまでに知事にこだわる訳なのでしょう。その気持ちが非常に強いことは嘘ではないかもしれませんが、そうだからと言って、どんなことをしても許されると考えるのはあまりにも独善が過ぎていると思うのです。
彼は東京大学経済学部を卒業し、国家公務員上級試験に合格し、総務省キャリアとして、地方自治体に何度か出向し、地方行政の経験を積んで来ました。大阪府庁時代の上司であった元大阪府知事の松井氏の話では、彼は非常に優秀な官僚で、上司から見て、今回のような言動、行動をとるとは想像出来ないと話をしていました。
多分、典型的な能吏で、上司の要求に応えることに邁進していたのでしょう。しかし、こういう人間は上のものにはよく従うが、下のものには非常に厳しいタイプだと思います。自分は絵にかいたような受験エリートコースを進んでいく内に、自分自身への自信やプロイドが相当なものになって行ったと思われます。また上司からの評価も高く、益々その意を強くして行ったのだと思います。もう少し広い視野と見識があれば、そのようなことに陥らなかったかもしれませんが、彼の目には自分こそが兵庫県を良くするということしか無かったのではないでしょうか。そのことが彼の誇りだし、その点で自分が一番だと自負していたと思います。
そのこと自体がよくある受験エリートの間違った思い込みでしかないのですが、彼は多分、人の言う事、特に自分より下と判断している者達の意見などを真面に取り上げなかったのだと思います。自分より劣ったものは、自分の言う事を素直に聞いていればいいのだと。この思い上がりが、兵庫県庁で起こった事象をすべて物語っています。
人間は全能のものはいません(いみじくも知事自身が会見の中で語っていました)。だから、集団の力を最大限に高める為には、例え下のものの意見であっても、きちんと聞いて、組織の力に変えなければなりません。叡智を結集することで、組織は最大限の力を発揮できるようになるのです。そして、その指揮をとるのがリーダーの役割なのです。
兵庫県の未来に対して、知事がこうしたいと言うビジョンももちろん重要ですが、そのことが一番と考えてしまうと、例え間違った部分があろうとも、もっと良いアイディアがあろうとも、見過ごしてしまうことになります。
本人は気付いていないと思いますが、ここまでに多くの人の目から醜態と思えるような言動、行動をとっている姿に、独善とは本当に恐ろしいものであると思いました。