NHKの大河ドラマ「光る君へ」を毎週見ています。ドラマの舞台となる時代の日本の人口は約600万人、その内、官僚は全国に1万人で、高級官僚と言われる裕福な暮らしが保証されていた貴族は10~20人で、その下の中級官僚は約200人ほどで、彼らの家族も含め約1000人が平安京に住まう貴族でした。物語はこの1000人ほどの貴族の中の狭い世界を舞台にしています。この物語ではフォーカスされないそれ以外の大多数の人間は非常に貧しい生活をしていたのだと推察されます。当時も、災害や疫病も多く発生し、庶民が命を長らえるには相当な運が必要だったかもしれません(貴族とても、なかなか長生き出来ない時代でもありましたが)。
人類の長い歴史の中、日本だけでは無く、世界でも、平安時代と同じような一部の少数の人間だけが多くの庶民が生産する富を搾取し豊かに暮らす階級社会がいたるところで続いていたと思われます。これは人間のエゴイズムと力の支配の為せる業だったのです。近代になり、古典的な階級社会は減って来て、多くの庶民もある程度豊かな生活を送ることが出来るようになって来ましたが、残念ながら、貧富の格差が厳然と存在しています。人類が階級社会を形成したがる傾向があるのは間違いないようです。
しかし、人類があまりにも増え過ぎたので、限られた地球の富だけで、極端な富の偏りを維持するのは物理的に難しくなっていることと、上流階級だけではなく、幅広く教育が為されるようになったので、平等思想が広まり、民主主義、自由主義が拡大して来たので、昔のような明確な階級社会を形成することは難しくなっています。
それでも、人間はエゴイズムを発揮したがり、その為に、権力を集めようとします。その権力を使って、庶民が反旗をひるがえさない程度に抑えつけ、搾取する体制を構築しようとしている国も少なからず存在しています。民主主義、自由主義の国々でも、経済活動の自由さが、貧富の格差を広げて行く傾向も進んでいます。自由経済を放置していますと、階級社会という制度に基づく格差ではなく、経済的な強弱により、新たな格差社会が作られていくのです。
誰でも一攫千金の夢を見ることは許されている、アメリカンドリームの思想は一見公平のように感じられますが、実はそうではありません。富を得られる道があまりにも限定されているからです。さらに、民主主義、自由主義と言っても、人間は生まれついた時点から決して平等ではありません。
この現状に対して、どうすれば少しでも、公平な環境を作ることが出来るのでしょうか。それは社会のルールを整備するのと、教育を変えることしかないと思います。
貴族になる、権力者となる、起業家となる、特殊な資格を持つ、芸術、芸能、スポーツで成功するそしてそれらの家に生まれることでしか、超富裕層になれないという前提条件を覆す必要があります。つまり、社会には様々な職業が必要でして、その必要な仕事に対して、公平な対価を払うことが重要です。人間はそれぞれ得手不得手が違います。現在は、得手となる仕事がたまたま稼ぎが多いと幸運ですが、それは極一部の人間にしか微笑まないのですが、様々な職業がきちんと評価されて、その代償が正当に評価されるようになれば、ほとんど人は、自分の得意な能力とそれに関わる職業につければある程度裕福になれるのです。という事は、皆が限られた職業に就く為の競争に参加し、敗れてしまって疲弊している現在の制度とは異なり、自分が得意な能力で勝負出来るということなのです。
そこで、もうひとつ重要なことは、自分のどんな能力が優れているかを知ることです。教育の主眼をこれまでの受験学力一辺倒の教育では無く、この点に置いた学校教育制度にすると言うことです。