正月に大地震で大きな被害を被った能登半島地方が、今月の豪雨により水害を受けました。それも地震で家を失い、やっと建設された仮設住宅に入居したばかりの被災者が再び被災したのです。やっと、避難所生活から脱出出来たと新たな生活を始めたばかりなのに、仮設住宅が泥まみれになり、どうしようも出来ない絶望感が漂っていました。また、地震で倒壊した家を片付け、その跡地に新居建設に取り掛かったばかりの人や、地震で使用出来なくなった厨房器具を新品に買い直し、食堂を再開したばかりの人もいました。彼らの土地には人の高さまで浸水し、水が引いた後には泥が覆ってしまい、新築の予定が大幅に遅れそうになったり、新規に購入した厨房機器が泥水に浸かり、また一から開店準備をしなくなってしまい、いずれも途方に暮れる姿でこの世の非情に打ちのめされていました。

 これまで、政府、行政機関はどれだけ能登の復興に注力して来たのでしょうか。国会では、この九ヶ月弱の間にも、自民党の裏金問題への右往左往が続き、岸田首相の自民党総裁選不出馬の発表からは、総裁選一辺倒になりました。現地では、警察、消防、自衛隊、工事業者、ボランティアなどが奮闘されているのは間違いありませんが、何分、人員、予算に限りがあり、避難所開設にも時間がかかり、現地の整備もなかなか進んでいない状態でした。そういう中での今回の水害です。政府や国会が、政治と金という自分達の落ち度に金と労力を費やしていましたが、本来は、もっと能登の復興に力を入れるべきだったのではないでしょうか。

 そういうことですから、この異常気象で豪雨による水害や山崩れなどが多発していることの危険性を理解出来ず、軽視し、全国に大きな被害が出ても、対処療法しか出来ない無能な政府となっていたと思います。政治家の優先順位は、権力闘争、選挙が一番で、国民生活は二の次だという事を明確に示した年でした。自民党は政権与党ですので、国民の生活を守る第一線にいる筈ですが、政治と金の問題をスピードを持って解決出来ずに、つまり自民党議員のある程度お金を自由にしたいと言う本音と折り合いをつけることに腐心し、無駄な時間と労力をかけてしまったのです。私が主張しているような完全に透明化だと決めれば、簡単に済むはずなのに、出来ないで、その間の本来の行政機能としての国民生活を守ることに注力しなかったのです。

 国民の為にありたいと言う彼らの言葉は、単なる建前であるのです。政治を志すものは国民の為の仕事がしたいというのが志望動機であるべきです。それを真に実現しようとする政治家はどこに存在するのでしょうか。被災地を選挙区とする政治家達だけが有権者の手前、頑張りポーズをしても、何の力にもなっていません。国会を、政府を動かすだけの潮流を作ってこそ、これだけ大きな危機を乗り越えられるのです。そして、被災地を地盤にしない政治家達も、他人事にしないで、それに呼応して、自由な金を少しでも維持しようとしたり、総裁選挙にばかり力を入れないで、被災地を救おうともっと立ち上がるべきなのです。