俳優の西田敏行氏が76歳で亡くなられました。数日前の新作映画の挨拶には元気な姿を見せておられたのですが、突然の死に大変驚いています。戦後まもなくの1947年のお生まれで来月で77歳を迎える筈でした。喜寿の年齢でした。

 戦後生まれの先頭に立たれる年代の方達は周りにも多くおられます。皆様、お元気で活躍されているのですが、西田氏もお元気な姿が目に浮かびます。

 人間の寿命とは本当にわからないものですが、西田氏の例を見ていますと、亡くなられる直前まで、生を全うされたと言っていいのではないでしょうか。最近の医学の発達で、人間の寿命はそれこそ、終戦時に比べても大幅に長くなっています。しかし、寝たきりや認知症でひとりでは生活出来ないような高齢者も多く、最近よく使われる言葉の健康寿命というものを意識せざるを得ません。もちろん、寝たきりになるよりは、自立出来た方がいいのですが、寝たきりであっても、文学や美術などの創造的な営みが出来るひとは、それはそれで価値のある生であると言えるでしょう。しかし、植物人間として生かされているのは、本当に生を歩んでいるとは言えないかもしれません。

 この問題は安楽死とも関係しますが、生物としての生死と人間としての尊厳を維持するかしないかの生死とは異なるものと考えてもいいと思います。

 出来れば、人間として、自立して長生きし、病気を抱えたとしても人間の尊厳は保ちたいと私は考えています。まだ呆けたことは無いので、呆けたときの自分は何を思っているのか、考えているのかはよくわかりませんが、呆けたことにより、周りの人達に迷惑をかけるのは間違いなく、出来れば避けたいことだと思います。

 そのようなことを色々と考えますと、しっかりとした意識、判断力、それを認知能力と言うのかもしれませんが、やはり呆けたくはありません。しっかりとした物の見方が出来、日々の生活をある程度自立出来て、日々の喜びや楽しみを感じられるように生きていきたいと思います。

 比較的若いときは、生きて行くことに精一杯であまり死など意識せずとも過ごせていたかもしれませんが、長い社会人としての生活を過して来て、西田氏のような有名人や親や親戚、友人、知り合いが亡くなっていくと、自分の死についても考えてしまうようになって来ます。幸せな人生をどう捉えるかは人それぞれですが、最近、健康な生活を送れて、いっぱい体を動かしたり、飲食に舌鼓を打つだけでも、何か非常に幸せを感じています。

 若い人達は、いろいろな欲望や夢などを達成することに囚われて、かえって悩みを抱えることが多くなっていることもあるのではないでしょうか。人生で何かを達成することは大切なことですし、それを追求し続けて、死を迎える人は幸せでしょう。しかし、ほとんどの人間はそこまで命を燃やし続けることは難しいのではないでしょうか。そして、最後はいろいろな欲よりも平穏な毎日の暮らしに幸せを感じるようになって、死を迎えるのかもしれません。

 今回の話は、今、目の前のことで精一杯頑張っている若者に、今の自分の考え方が未来永劫続くことではなく、後で振り返れば、長い人生にはいろいろな道があり、今、目指している道が全てではなく、人生、どうなるかは分からないと達観した方がいいことを知って欲しいと思って記しています。最も大切なことは、どのような道を進もうが、心身ともに健康を保つことが重要なのです。そのことを念頭において、日々を頑張ってください。失敗しても、思うように進まなかっても、健康な身体があれば、どこかに幸せを感じられる道があることを忘れないでください。