ウクライナ情勢が風雲急を告げています。国内で親欧州派と親ロシア派が対立しているところに、西側諸国とロシアに挟まれた地域的な重要性もあり、ロシアはウクライナを支配したいと言う狙いがあると思います。ウクライナの親欧州派はかつての親ロシア派政権時代の失政を繰り返したくないという思いと親ロシア派はかつて旧ソ連時代の方が豊かな生活を送れていたという思いがぶつかっています。各々の主張はそれぞれの立場から理解できる面もあると思いますが、お互いの妥協が無ければ、まとまることはありません。結局、武力闘争が唯一の解決策となって行くのです。西側もロシア側もそれぞれの思惑があり、武器供与などでその内輪喧嘩?を後押ししているのも事態悪化につながっています。さらに、ここに来てロシア軍が参戦する可能性もあり、豊かな台地のイメージが強いウクライナの地が戦火にまみれる悲劇が現実のものとなりつつあります。
 日本でも大正、昭和初期の世代は戦争を経験し、私の近い親族も南方戦線に一兵卒として参戦し、多くの戦死者を出した戦いの中で銃弾を受けたり、海中に投げ出されるなど、九死に一生を得て生還しました。しかし、地獄のような悲惨な体験を亡くなるまで語ることはありませんでした。戦友が次々に死んだり、飢えに苦しんだり、敵を殺したり、自分自身も殺される恐怖の中をかいくぐって来たことは間違いないのですが、もう二度と思い出したくないようでした。敵と言っても、その人にも平穏な生活や愛しい家族があるのですが、そんなことと関係無く殺し合いをしなければならないのが戦争なのです。現在の平和な社会の中であっても、いじめや理不尽なことがあるのですから、戦争の中では、より多くの理不尽なことが身の回りにあふれるようになるのです。今、我々日本人は平和を当然のように、その有難みを忘れて、己の欲望を満たされないことに不満を漏らして生きています。戦火の下では、己の欲望どころかまっとうな希望さえ叶えることは出来ないのが現実なのです。
 今回のウクライナにも見られるように、異なる考えを持った人々が対立し、反対する人達のことをお互いに慮る(おもんばかる)ことを失うと、どんどん戦争という道に進んで行くのです。我々日本人も遠い国の他人事だと軽視してはなりません、我々の未来にも、このような道に進むことだってあるのです。我々自身もウクライナ庶民の気持ちになり、あらゆる戦争につながる道を絶対避けなければなりません。悲惨な体験をするのは、我々一般庶民だからです。他人を殺したり傷つけたりすることなどしたくない、なのに、戦争の犠牲となるのは庶民だからです。このことを心に深く刻み、権力者の為の戦争の片棒を担ぐことは決してないように厳しく己を諫め、慎まなければならないのです。
 ウクライナが戦争に突入することが回避されることを祈りますとともに、国土が焼け落ちるほどの悲惨な戦争を経験した日本人として、どんな対立に対しても、お互いの立場、考え、生活をも理解した上で、話し合いで妥協点を見出す努力を惜しんではいけないと思うのです。

投稿者

弱虫語り部

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)