衆議院選挙で与党が大敗したことで、首班指名に向けての各党の動きが活発になっています。今回、キャスティングボートを握ると見られているのが、国民民主党だそうです。そこで、党首がテレビなどで度々インタビューされている映像が流れて来ます。彼は、衆議院選挙の公約を果たすことを強調し、それを実現化する為の個別の共闘なら実施していいが、連立政権に入るようなことはしない、だから、首班指名選挙で、自分の名前を書くと述べていました。一見、論理的なスタンスだとも見えますが、そうでしょうか。

 国民が自民、公明の連立政権にノーの答えを出したのですが、その民意に逆らうような、野党間の抗争により、結局、自公連立政権を存続させてしまうことにならないのでしょうか。まずは、野党間では、そのことを真剣に話し合う必要はあると思います。しかし、国民民主党は立憲民主党との党首会談も拒否しました。民主主義とは、国民主権で国民の為に事を為すことを旨とし、国民の民意をいかに政治に反映するかに努めるべきだと思います。だからこそ、野党である各党は、真剣にそのことを協議すべきです。話し合う場も放棄し、党利党略に動こうとするなど、見ていてあさましく見えて来ます。選挙という国民の声を拾い上げる最大の場面で、国民が意志を示しても、それに応えられないような政党の動きがあるのなら、結局、有権者は選挙に行かなくなってしまうでしょう。

 政治家は選挙のときだけ民意、民意と叫んでいますが、選挙が終わると、政党という狭い考え方の集団間の自己満足的な空虚な争いに留まってしまうことに、主権者である国民をどう幸せにしたいと考えているのでしょうか。自分達だけ、日本人の平均給与の何倍もの報酬と数々の特権、年金を享受し、議員という地位があれば、それで満足だというように、実行の伴わない小競り合いを繰り返して、仕事をしたと満足していることに、国民に対して恥ずかしくないのでしょうか。政治家とは国民の安全、生活を守ってこそなんぼの世界に住んでいることをちゃんと認識し、その意味での結果を出すことに最大の知恵を絞り、努めないといけません。

 いろいろな考えがあるのは仕方ないですが、それぞれが政党などいう世界から出ないで、意見を言いっ放しで終わることはもうやめませんか。きちんと議論し合い、答えを出していき、実行が伴わなければ無意味であることを理解して欲しいのです。今のままであれば、国民全体より一部の層だけを見ている自公連立政権の思うままが続いて行くだけです。それでは、社会が良くならないのです。それを許さない為に、何を為すべきか、狭い考えの党利党略では無く、多くの国民の幸せを考えて、野党の人達が結集して欲しいのです。

 私の本音は、与党、野党も関係無く、既存政党の枠にとらわれずに、今の政治を変えて、一般庶民の為に、結束して事を起こそうとする意志を持った政治家が結束して、その目的を共有し、大きな力となって、政権をとってもらいたいのです。保守、革新、左派、右派などということにこだわることなく、国民を少しでも今より幸せにするという単純な目的の下に結束して欲しいのです。共産主義も社会主義も自由主義も、そんな古い括りでいて、国民を幸せにしている国は存在していますか。今こそ、国民の幸せだけを目指した新しい主義が求められるのです。