大リーグのワールドシリーズがドジャースの勝利で終わりました。どの試合も緊迫した展開で、見応えがありました。しかし、敗れたヤンキースには、戦犯探しのように、一部の選手にファンや解説者などから厳しい非難が寄せられていました。
確かに、前評判では、特に投手力がドジャースより充実しているなどでヤンキースが優位であるとの予想が多かったのですが、結果は反対になりました。熱狂的なファンなどが悔しいのは分かりますが、結果は時の運と言われるものだと思います。
しかし、第五戦で、五点のリードを一度に取り返されたとき、ジャッジ選手が落球したことやコール投手が一塁ベースカバーを出来なかったことに、彼らを強烈に非難する投稿や解説者、OBの辛辣な声が届きました。彼らは非常に高年俸の選手であり、大きな期待をされていたのは分かりますが、彼らとて人間です。あのような緊迫した状況でミスすることは仕方ないことと思います。好き好んでミスした訳でもありません、精一杯のプレイの中で起こったことなのです。奇跡的な好プレーも手痛いミスと紙一重なのだと思います。どちらが出るかは、本当にそのときの運しだいのような気がします。
スポーツは勝敗が明確で、さらに勝ち負けがどう転ぶか分からないから面白いのですし、敗者がいないと勝者は存在しません。ですから、結果が出た後は、勝者だけを称えるのではなく、敗者も称えるべきなのです。結果に対して、あれこれ批判するのは誰だって出来ます。しかし、批判する前に、その立場になったら貴方なら上手く出来ると言えるでしょうか。あの極限の緊張状態の中で、プレイすることだけでも、とても凄いことだと思えるのです。
自分なら全然出来ないのに、それを棚に置いて、非難するのは止めたいと思います。私は、奇跡のようなプレイも好きですが、極限状態に置かれても、精一杯プレイすること、例えミスとなったときでも、見応えあると感じることが出来るのです。
敗者がいたからこそ、勝者が生まれ、だからこそ、その場で懸命にプレイした選手全員を称えたいと思います。よくぞ楽しませてくれたと。