兵庫県知事選挙が斎藤前知事の勝利で終わりました。もともと斎藤知事への不信任案可決に対し、斎藤氏が失職を選択したことにより、手直し選挙と呼ばれる選挙戦が繰り広げられたのです。当初は、稲村前尼崎市長が優勢との評判でしたが、NHK党の立花氏のバックアップやボランティアによるSNSを活用した運動が功を奏し、終盤に巻き返して来たと言われていました。斎藤氏側は、パワハラ等の問題も議会側の対応が誤りであったというような主張と、三年間の県政での実績をアピールしたことに、若者を中心に支持者が増えていったようです。

 不信任案の発端であった斎藤氏のパワハラや問題行動に対する内部告発への対応についてはまだ百条委員会での結論が出ていないので、公式な判断が不確定の段階をついて、斎藤氏側が自身の主張を押し通すことが出来たと思います。本来であれば、百条委員会の結論が出てから、その結論に従い不信任案を提出するかしないか判断するのが筋だと思いますが、議会が拙速に動いたことが混乱を招いたと言ってもいいと思います。ですから、斎藤氏が知事に返り咲いた後も、百条委員会が続くことになります。これは、議会にとっても、斎藤氏にとっても、県民にとっても不都合であり、まだまだ県政が停滞する可能性があると思います。このような事態を予測出来なかった県議会も今一歩であり、斎藤氏側の主張を正当化させることにつながったように思います。

 今回の県民の判断が難しかったのは、斎藤氏にも自分自身への批難の告発にも関わらず、自身も入って告発者の処分を決めたこと、県議会そのものも県民から見れば満足いくような活動をとれていなかったこと、県民から見れば、県庁そのものも大きな改革が必要だと考えられるような問題を抱えていたこと、と三者ともに問題があったことです。そこで、誰に投票するかと言った判断そのものも、誰の言葉や行動を信じ、支持するのかで決めざるを得なかったのです。そこに、立花氏の発言や、SNSでの斎藤氏側の独善的な主張が、多くの県民の心を捉えたのでしょう。

 今の選挙システムでは、それぞれの候補者がそれぞれの考えを一方的に主張していくことが出来ます。だから、有権者から見ると、誰の言っていることが正しいのか判断するのは大変難しいと思います。かつては、大手新聞やテレビ局の解説などが参考になったのですが、特に若い層からは、これらの主要マスコミを信用出来ないという風潮も拡がって来ています。そういうことなので、これに対する一番の方法は、候補者同士の公開議論の場を多く設けることしかないと思います。一方通行の主張は、演出の上手さで、真実を捻じ曲げることが出来てしまいますので、対等な条件下での討論こそ、真実を垣間見せることが出来る手段なのです。

 今回はSNSを上手く活用することでそれを活用した候補者に有利に働いた面も否めないと思いますので、選挙管理に携わるものは、早く、全候補者がSNSを公平に活用するような環境作りを進めるべきです。そして、それらの主張を公開討論で戦わせるような場をきちんと作るべきなのです。早急にこのような選挙システムの改革を行わなければ、今回のような後味の悪い選挙となってしまうと思います。

 かつての選挙のやり方に胡坐をかいていれば、有権者の為の選挙はいつまで経っても出来ないと思います。