最近の選挙を見ていますと、人々は何か新しい変革を求めている傾向があるように感じています。米国大統領選、衆議院選、兵庫知事選などです。

 そして、歯切れの良い言葉も好まれているようです。トランプ氏の場合、米国ファーストで、輸入品に高い関税をかけたり、移民を排除したり、国民民主党の場合、手取りを増やす、103万円の壁を破る、斎藤氏の場合、既成の県政を打ち破るとか、いろいろと分かり易い公約が並べられていました。

 今、足元の毎日の生活に苦しんでいる国民、県民にとって、現状打破は何よりも分かり易く、魅力的な言葉であると思います。そのようなことが多くの有権者にアピールし、選挙結果につながったのだと思います。

 確かに、変革には強いリーダーシップが必要です。少々の抵抗や壁をも突き破るくらいのパワーが必要で、これらのケースもそれが良く感じられました。

 しかし、気をつけなければならないのは、強いリーダーシップには、自分のやる事、考える事が一番であるという独善的な思考を伴うことが多いのです。いつも申し上げていますように、完全である人間はいません。どれだけ優秀であっても、いろいろと誤ったり、ミスしたりすることもあります。だから、他人の批判にもきちんと耳を傾け、過ちがあれば、謙虚に認め、改める寛容さも必要なのです。しかし、独善に陥っている人は中々そのような寛容性を持ち合わせていないことが多いような気がします。

 トランプ氏の場合、前回の大統領選挙でも最後まで敗北を認めようとしませんでした。自分が負ける筈が無い、だから、この結果は裏で操作された陰謀の結果であるとしていました。斎藤氏の場合も、様々な問題を追及されたときも、すべてがデマであり、自分のやることはすべて公正であると突き放しました。確かに、三年間の知事在職期間に、前知事時代から続く非効率で誤ったやり方を正して来た面もあったと思いますが、それが全て正しかった、またそのやり方に問題は無かったとするのはあまりにも独善過ぎるのではないでしょうか。いろいろなひとの意見や批判を冷静に聞き、自分の行動を胸に手をやり、相手の立場にも立って、考え、改めるべき点があれば、真摯に反省し、素直に改めるという度量があったら、今回のような問題も起こらなかったと思います。彼の場合、一次が万事、自分を利するような解釈、判断をする傾向があり(受験エリートにありがちですが)、彼の独善的な行為こそ、民意や部下の気持ちを理解出来ない障害になっていることに気がつかないこと自身、人の上に立つべき器ではないかもしれません。第三者委員会の承認喚問出席を、業務が忙しいと先延ばししているようですが、この問題を少しでも早く決着させることが、公務を円滑に進める為の第一優先だと考え、積極的に対応して欲しいと思います。

 そして、きちんと改めるべき点を明確に把握し、その部分に関しては、真摯に考えや行動を変えて、職務に邁進すべきだと思います。そのことが、県民の為の政治が出来る道筋なのだと思います。

 結論としては、強いリーダーシップは必要だが、強ければ強いほど、ひとの意見、批判を真剣に聞くような寛容さも併せ持たないといけないのです。

投稿者

弱虫語り部

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