前回のブログで、リーダーに必要な資質は、今の受験勉強だけでは養える訳ではないことを述べました。もちろん、受験科目が全く役に立たないと言っている訳ではありません。学力を量ることは出来ると思いますが、それは必要とされる能力の一部でしかありません。一番重要なことは、他人の痛みを自分のこととして感じられる感性を持っているかどうかだと思います。自分自身を客観的に眺められるかどうかです。幅広く物事を俯瞰的に見られるかどうかです。そのような資質を持っている人間であれば、自分の短所も認識していて、それを補うにはどうすればいいかも考えられるものです。他人の長所、短所も分かり、どのように活かせれば、その長所を活用出来るか理解している筈です。さらに自分の判断が百パーセント正しいとも思っておらず、他人からの批判、指摘に真摯に耳を傾け、改めるべきところはきちんと改善するでしょう。

 このような素養は決して受験勉強をやっているだけでは身につくものではありません。だからこそ、受験勉強を勝ち抜いて来た受験エリートが日本の中枢の役目を握っていることで、非常に問題が多くなっているのです。もちろん、受験エリートの中でも、自然と必要な素養を身に着けて来た人もいるかもしれませんが、それほど多くはないと思います。彼らの家庭では、受験一辺倒では歪な偏った人格を作る危険性があることに気付き、それを補うような家庭での躾や人間性を豊かにするような独自の教育で鍛えられたのかもしれません。反対に、親や周りが子供の偏差値を上げると言う唯一の価値観しか持っていない場合、偏った受験エリートを生んでしまうのだと思います。

 前回のブログで述べましたように、戦時中でも陸海軍のエリートにそのような人間が多く見られましたし、現在の政治家や高級官僚、大企業の幹部の中でも多く存在しているのです。

 そのような人間が日本の中枢を担っているのですから、今の教育システムをいつまでも変えようとはしないので、国民にとっては不条理で理不尽な社会が続いてしまっているのです。

 政治も経済も、結局それを担う人間の質に左右されるのです。ですから、一般の庶民にとって、閉塞感漂う現代の社会を改善する為にも、教育ということを一から見直すべきなのです。