人間の特性について、もう一度考えてみましょう。前述したように、人間も生物として生まれてきたということで、自己の遺伝子的な個体の保存、繁栄をプログラミングされています。但し、人類が進化の過程で、知恵というものが他の生物より発達し、多くの人達が共存できる社会というものを形成して来ましたが、その中の一部の人達の欲望、支配欲のために、争い、戦争を重ねて来たこともお話しました。ひとはそれぞれ幸せに生きたいと思っているのですが、その願いを踏みにじって、一部のものが、権力と富を独占し、多数のひとは、その体制を維持することに利用されて来ました。そのような社会になるのは、なぜでしょうか。ひとつは、単純な利己主義が根底にあることです。さらに多くのひとが、権力者に利用されやすいということです。少数ですが、自分よりも他人のことに配慮することができるひとがいます。この人達の中から出て来た思想が、多くの人達を魅了する主義、宗教の根底にあったような気がします。反対に、他人の痛みを全く感じられない人もいます。そして、大多数の人は、他人のことを思いやる気持ちはあっても、単純な自己の利益、権力などに流される人達です。この大多数の人達が、どう動くかで、社会の進む方向は決まっていくのですが、結局、権力者に踊らされることで、この大多数の人達が幸せになるような道から外れていくのです。逆に考えれば、このような三種類のひとの行動原理を十分考慮し、新しいシステムを作り上げて行けば、多くのひとが幸せになる社会に変えていくことが出来ると思うのです。
ここで、私の主張したいことを整理します。
・現状の民主主義、社会主義、共産主義などは、多くの人達を幸せにできるシステムではない。また、現在の社会経済を回している資本主義も行き着く所は、大きな格差を生むものなのです。
つまり、個々人の保有する富に制限のあるあらたな資本主義、民主主義が求められます。
・現在の民主主義は名ばかりで、真の意味で、民衆に公平ではありません。その為に、政治、教育、経済の各界で改革が必要です。
・人類には、大きく分けて三種類のひとが存在します。 大部分の人間は、自己を守ることが一番ですが、出来たら悪いことはしたくないという弱い存在だということ(WE)、しかし、全員がそういうタイプではなく、極一部は自身を犠牲にしても、ひと(他人)の為に動くことができるひと(AE)が存在し、併せて、自分自身の欲望を達成するためには、ひと (他人) を犠牲にすることを平気で出来るひと(DE)も極一部存在するということです。 理想は、AEがWEを先導し、DEを抑え込みつつ、多くのひとが協調しながら、幸せな生活をおくることができる社会にすることです。