現代のIT技術の発達により、戦地から遠く離れた日本でも、現地の人々の悲惨さが手に取るようにうかがい知ることが出来ます。中でも、幼い子供達が悲嘆にくれている様子などは、この世界の大人がどうしてこのような仕打ちを子供達にするのかと非常に暗い気持ちになります。政治家など権力者は子供達のような弱い存在がこのような状態にならないようにするのが一番の役目なのに、それぞれが利己的な大義名分を主張するばかりで、政治の原点である一般の人々の平穏な生活を守ることをどうして一番の大義にしないのでしょうか。世界全体の平和を最大限の目的として議論すれば、武力を用いることなど論外の筈です。本来、国連でそういう議論をして平和的な解決に導いていこうとするベクトルに一致していれば、必ず妥協点は見出される筈です。そういう意味で各国から派遣されている国連大使というのは、大きな権限を持って会議に参加すべきですが、実態は独裁者のお飾りでしかなさそうです。人類が、本当に成熟していれば、国連が実質的な紛争解決の場となるのでしょうが、今回の国連の会議中にロシアが攻撃を開始したのですが、国連は何もできなかったことが現実です。平和を愛し真に勇気のある賢者の集まりを作ることが理想なのですが、上には弱いエリート達の集まりでしかないのでしょうか。戦争というやり方でしか主張できない野蛮な人が権力を持ってしまうと誰も止めることができないのでしょうか。
今、我々日本人は80年近く、戦争の無い平和を当たり前のものとして生活しています。ウクライナの状況を考えますと、どれだけ我々の今の日常が恵まれているのかと痛感します。しかし、先に述べましたような状況が世界全体の実態である以上、いつ戦禍が訪れても不思議ではないのです。憲法の議論で様々な意見が交わされていますが、日本ばかりでどうこうやっていても、井の中の蛙となってしまうでしょう。国連の位置づけなど、世界をどういう方向に導くのかと言った外交戦略が一番重要だと思います。そのヒントが新型コロナウィルスなのです。つまり、人類の共通の敵の前では、自国だけの豊かさなどすぐ吹き飛ばされてしまう儚い(はかない)幸福なのです。このことに各国の権力者が気付き、新たな国際社会の構築を考えるきっかけになればいいのですが。ウィルスには国境も無いのですから。気候変動などの自然災害もそうですし、我々の将来に立ちはだかっている大きな問題は、世界がひとつになって対応しなければ、個々の国の繁栄、その中の人々の幸福などもあり得ないのです。このような世界情勢を前提に国境を越えた世界的なうねりが世の中を変えるというのが理想的なシナリオです。一方、武力と武力の衝突で、行き着く所が核戦争となるのが最も悲観的なシナリオです。どちらを選ぶべきかは明らかなのに、何故戦争をとめられないのでしょうか。やはり人類はそこまで愚かなのでしょうか。