昨年来、この国を騒がして来た政治と金の問題ですが、国会での議論もなかなか各政党間で噛み合わずに、効果的な対策を打てずに年を越してしまいました。

 私はかねてから、この問題に根本的な疑問を抱き続けて来ました。

 それは、本来のあるべき政治に金がどこまで必要であるかということです。私は民主主義国家における政治というものは、国民を幸せにする為の政策をどれだけ立案し、成立させることが出来るかだと思っています。そして、より良き政策を考え出す為に必要なのは、金では無く知恵なのです。確かに、成立した政策を実行するには金が必要です。しかし、その問題と純粋な政策論とを混同してはいけません。

 多くの人を納得させられるような政策案を作る力とそれをきちんと説明する力が無いので、今の政治家は数の力に頼ろうとします。つまり、政策案そのものの出来栄えでは無く、賛否投票で勝つことに活路を見い出すしかないような政治家が多いということなのです。そして、数を集めるのに何が必要かと言うと、それが金なのです。金の集まる所に政治家は集まり、その金は自分達の選挙の為、自分達の豊かな生活の為に使われるのです。だから、躍起になって金をあつめようとします。だから、政治資金規正法がどんなに改正されようが、うまく抜け道を作って金集めが出来るようにしたいのです。

 残念ながら、このような根本的な部分を提議する政治家はほとんどいないと思います。もしそこの所をはっきり出来れば、政治資金規正法は単純明快なものとして立案出来ると思います。

 次に、政策を実行するには金が必要です。しかし、それは政治家、議員が自由に出来るような金では無く、予算で承認され、税金が使われるのです。そして、その予算を成立させる為にも、また審議が必要ですが、これも知恵より数の論理で押し通す傾向にあるのです。つまり、ここにも政治と金が関わって来るのです。

 結局、知恵の無い政治家達が政治をやっているんだというのは、数取り合戦をしているに過ぎないのです。

 このような構図から抜け出す為には、本当に国民の為の政策を出し、それを具現化するような予算を確保出来るように、数では無く、その中身で勝負出来るような知恵を持った人材を議員に選ばなければならないのです。

 だから、そういう人材が立候補出来るような、そして選ばれるような選挙システムに変えていかなければならないのです。私の考える選挙のあるべき姿はこのブログで再三訴えて来ましたので、そちらもご覧ください。